「パンダのもり」に素直になれない私がいる

「パンダのもり」公開のニュースを素直に喜べない私がいる

久々の明るいニュースなのか、メディアが盛んに取り上げているのが、上の動物園で完成した「パンダのもり」の一般公開である。

『上野動物園で8日、ジャイアントパンダのリーリー(雄15歳)とシンシン(雌15歳)が暮らす新しい飼育施設「パンダのもり」の一般公開が始まった。「パンダのもり」は1988年に建設された従来の施設の老朽化に伴って新設。敷地面積を約3倍の約6800平方メートルに広げ、木や岩、洞窟を配置した』

この広さ、ピンとこないかもしれない。都内の一軒家分譲といえば、35坪位の広さが相場であろう。6800平方メートルというのは、約2057坪になる。大金もちの屋敷である。
ここには、パンダ以外の動物の展示もあるようだが、パンダ舎は1000平方メートルで、建設費は22億円だとか。(古い記事なので、実際はもっと高いかも)これまた芸能人もびっくりの家であろう。

もともと日本は中国からパンダを借りているだけで、来年くらいには返却時期が来る。都が中国側に支払う「レンタル料」は年間約95万ドル(約1億800万円)とか。


ズバリ言うなら、今このご時世に、どうしてこんな豪華なのもが作られてしまうのか、どうしても違和感が拭えないのである。

お客さんに落ち着いて見てもらうため、自然の姿を見てもらうため、旭山動物園に負けないため、入場者贈で動物園の経営を維持するため、.....等々。

山のような理屈があるのだろう。だから、ひはんしたいのではなく、それでもなおモヤモヤが消えないのだ。高度成長期なら、民亜が良くなる夢をもっていたのだから、よくわかる。しかし、平成の30年は衰退一途の時代であった。アベノミクスも、一部の企業や既得権者などの人間たちには恩恵があったのは事実だが、同時に格差は拡大するばかりで、貧困が語られる時代となってしまったのもまた事実である。

子供が、給食や無料の食事によって命をつなぐなどという昭和でも考えられなかったような現実が広がっている。そのなかで、たかが動物にここまでする関係者は、本当に日本の貧困の問題が見えているのかと問いたくなる。

もちろん、現場で働く人達のことではない。都知事、都議会議員、都庁の役人たちのことである。自分たちが困らないと、他人の貧しさは目に入らないのは人の常である。


どうしても、このニュースを明るい話題としてばらまくメディアも含めて、違和感を感じ、どこか納得できないでいる自分を抑えられないのだ。

令和2年9月8日(火)

 

 

2020年09月08日