新しい教育のひとつ:新技術への対応

 スマホなどの携帯型端末の普及、誰でも情報を手軽に発信できるSNSなど、ITやネットと呼ばれる分野の発展普及はすさまじいものがある。だが、多くの科学技術には光と影がある。誰でも気軽に使えるようになれば、そこではさまざまな問題も起きてくる。そのため、学校でもっときちんとしたIT教育を行うべきだという声がでてから、すでに久しい。

 芸能人のプライバシーに関わる情報を、本来秘守義務のある人間がネットに公開してしまう。さらにその情報を公開した人間が突き止められて、ネット上でさらしと呼ばれて多くの個人情報が公にされてしまう。こういう問題が、後を絶たないのは、個人の自覚もあるが、教育でそのような技術の持つ光と影を正しく教えていないからであろう。

 IT教育が必要だというと、ただひたすら操作方法ややり方のみの終始して、社会とのかかわりや人間の利用の仕方についての教育というものがほとんどなされない。これでは、真のIT教育ではなかろう。

 これは教えるのは知能に関わること、つまり情報や知識だという思い込みがいまだに多くの教育関係者にあるのだろう。単なる知識のつめこみではなく考える力や理解力を養う必要があると、表面上は言うのだが、実際の授業は異なっている。知能以外の知性を高める教育とは、まさにこういう科学技術の光と影を教えることも含まれるのである。しかし、教師側がそのことをきちんと理解できていない。考える力や理解力、判断力もある種の情報や技術(操作方法)として教えようとしている。これでは、決して身にはつかないだろう。

 外来崇拝が抜けきらない日本人の多くが、カタカナ語でやれITリテラシーだの情報デバイドなどと騒ぎ立てる。そんないかにも新しいことのように騒ぐこと自体が、本質を正しく見れていないことになる。
 知識や技術とともに、必要な道徳心や倫理観を養わない限り、情報文明社会でまともな国にはならないであろう。残念ながら。

平成28年1月12日

 

2016年01月12日