「半沢直樹」は現在の「水戸黄門」

 およそ7年ぶりに続編が放送されている「半沢直樹」も、次回が最終回です。私自身はそれほど熱心な視聴者ではありません。年取ったら、テレビの放送を見ていること自体が、だんだんつまらなく、時には苦痛にさえ感じてしまうのです。ま、それでもこれだけ世間を賑わしているテレビ番組ですから、このところ気がつけば見ていました。

 主役の堺雅人については、NHKの大河か何かで、うすのろ将軍を演じているのを見て、この役者さんは演技派だなと思った記憶があります。彼だけではなく、多くの歌舞伎役者やベテランの俳優陣をそろえているので、安心して見ていられます。

 それにしても、大げさな言い回しやあり得ない言葉使い、土下座大安売りの芝居じみた行為(あ、芝居だっけ)には、時々しらけてしまうのも事実です。それでも、なんとか見続けられるのには、いくつか理由があるのだと思います。一つは役者さんたちの芝居のうまさでしょうが、もうひとつ理由がありそうです。それこそが、半沢直樹が現在の水戸黄門である理由ともつながります。そういえば、同じテレビ局なのも、偶然でしょうかね?


 今の若い人は「水戸黄門」のテレビ番組も知らないかもしれません。とにかく型にはまった勧善懲悪の時代劇です。悪の代名詞にまでなってしまった「越後屋」や「悪代官」が出てきて悪さをする。それを「助さん、格さん、こらしめてやりなさい」といって大立ち回り。そして最後に「この紋所が目に入らぬか」と葵のご紋の印籠を高々と差し出すのです。これがまた、その辺の時計よりも正確に、毎回同じ時刻なのです。天下の副将軍の権威でひれ伏すのですから、この頃の悪党はかわいいですよね。なんいせよ、こうして悪党どもは退治されて、めでたしめでたしとなるわけです。毎回全く同じ構成です。

 それがどうしたって?これ、半沢直樹と似ていませんか?歌舞伎もどきの大げさな立ち回りや、えげつない日常ではあり得ない言葉使い、悪党をあぶり出してきて、そいつを追い詰める。最後にそいつに土下座させて、悪は滅び、正義は勝つ。そういえば、水戸黄門にも、忍者崩れの助っ人が一行を助けてますが、半沢直樹でも、ひたすら内部情報を教えてくれる人がいましたね。


 つまり、半沢直樹は水戸黄門と同じ勧善懲悪型ドラマなのです。古くさい勧善懲悪など時代遅れだと思っているうちに、時代は一回りしてしまったのです。あまりにも訳のわからないへりくつや、重箱の隅をつつく内容ばかりが氾濫する現代社会。日本人の多くは、そういうものにもう疲れ果てたのです。ドラマの型だとわかるから、大げさな芝居も我慢して見ていられるのです。
 おおげさだし、あり得ないとわかっている、それでも、最後には悪を懲らしめてくれる、その正義の力を信じてドラマを見続けることができるのです。


 こんなこと書いておいて、来週の最終回で半沢直樹側が負けたらどうしよう。おら知らねー!

令和2年9月21日(月)

 

2020年09月21日