ハンコを押した紙の力を軽視するな

 極端に走る日本人の国民性がまたまた出ている。そう、押印の廃止である。押印ならまだわかるが、ハンコをなくせと息巻いて、ハンコそのものを廃棄しろとは何事だと批判される始末。いやはや、どちらも感情的になりやすい日本人ですな。

 個人的には、押印廃止に反対はしない。それどころか、業務改革として積極的に進めてほしい。しかし、すでにデジタル化への恐れで述べたように、機密保護を含めたセキュリテイ対策への懸念が拭えないでいる。

 押印された用紙は、それ自体がセキュリテイ機能を持っているのである。このことに気づいている人は意外と少ない。役所の窓口に出向いて手書きで用紙に書き込み押印をする。この面倒さは本人確認などの機能を補完してくれているのだ。もちろん、三文判などいくらでも売っているのだから、偽の用紙を提出することは簡単にできる。しかし、そんな手数をかけてまでして、偽の用紙を出すのはよほど価値があるか、別の動機がある場合に限られてくる。

 また本人が紙で提出したものは、そのオリジナルが保存されている限り、本人がやったものかどうかの確認がとれる。

 結婚の届けも離婚届も押印不要にするという。結果、役所に行くこともなくパソコンから手続きができるようになる。ここで、本人確認とデータの改ざん防止がきちんとなされていなければ、大変なことがおきる。知らない間に結婚していたり、勝手に離婚させられていたりすることが起きるのだ。わざわざ役所に偽の離婚届を出すのは面倒でも、パソコンからいたずらでやるのは簡単にできる。としたら、社会は大混乱をきたす。住民票も相続もめちゃくちゃになる。また、外国人の偽装結婚という犯罪がより多く生まれるのは間違いがないであろう。

 このような多くの危険性のすべてを押印された紙の用紙が、守ってくれているとまでは言わないが、低減させていることは紛れもない事実であろう。


 利便性とセキュリテイは相反するものだと、ドコモ口座をはじめとする口座からの不正引き出し事件で学んでいるはずなのだが、一向に改まっていない。何年経っても改善されない企業の意識はどうしようもないが、企業はだめだが国なら大丈夫などとは、口が裂けても言えまい。そのことも、コロナでの各種システムの不備やトラブル多発、不正請求などで認識したはずである。

 機械に格納されたデータは、簡単に改ざんできるし、盗むことでもオリジナルの紙を盗むより遙かに簡単である。
 特に婚姻届や離婚届などのように、複数の人間の同時個人認証がなされなくてはならないものも多い。本当に、彼らはこれらをしっかりと考えているのだろうか?


 今でも日本はサイバー攻撃に脆弱な国として有名である。何百人かの口座からお金が盗まれるのも大変な事件ではあるが、社会そのものを混乱に陥れることができてしまう国の行政システム攻撃を、反日勢力が見逃すはずはあるまい。個人情報保護ばかり大げさに騒ぎ立てるが、行政データ保護はまるで知らん顔。これでは、特定勢力が舌なめずりして喜んでいるのではないだろうか?

令和2年10月9日(金)

2020年10月09日