非正規雇用の待遇と最高裁判決

 今月は非正規雇用の労働者の待遇に関して、立て続けに最高裁判決が出された。①非正規社員の退職金、②非正規社員の賞与、③非正規社員の各種手当ての三つについてである。

 大まかに結論を言えば、①②は非正規雇用側の負け、③は非正規雇用側の勝ち(元々一部)であった。いまは、ネットで裁判の判決文も読めるので、①②について読んでみた。いわゆる法律用語の言い回しは、日本語とは別の言語に思えるほどわかりづらい。特に私のように法律の素人には。それでも、いくつかの感想を持つことはできたので、ここではそれを述べてみたい。


 安倍政権が進めた「同一労働同一賃金」の社会の流れに中では、正規社員と非正規社員との待遇差を認めた最高裁判決には、私を含めて今ひとつ納得できなかった人もいるのではないかと思う。ここで最高裁の肩を持つならば、これらの判決は、あくまでもここの事例についてのものであり、事案が異なれば異なる判決が出る可能性はあると言える。そうはいっても、非正規労働者には退職金や賞与を出さなくても良いと最高裁が言っている、と多くの経営者が捉えるのはまちがいのないところであり、影響はそれなりに大きい。

 退職金や賞与で正規社員と差があることを認める理由として、最高裁がしつこく言っているのが、両者が同一労働ではないという点がある。今回訴訟を起こした秘書や売店販売員は、正社員とおなじ仕事をしてきたのに待遇が異なるのは差別である訴えた。それに対して最高裁は、正規社員は、遙かに難しい仕事が業務範囲にある、配置転換がある、別の仕事をしたり管理するなどの業務が与えられているのだから、差があるのはやむを得ないとしたのだ。

 ここで疑問に思うのは、就業規約に差があるからといって、それが実際の仕事の差を示しているのだろうかと言うことがある。規則にあるのは、あくまでも可能性の問題であって、実際にそうであったかは別の話である。この部分の最高裁判断には、納得できないものが残る。

 もうひとつが、各種手当てのように比較がされやすいものは致し方がないとしても、賞与や退職金など影響が大きなものは、企業側の裁量を大きく認めた点である。正社員にはよりよい環境を提供して、長く勤めてもらうことを目指しているのだという。正規社員には長い勤続を求め、非正規には勤続を求めないというのは明らかな差別である。はじめから非正規はいつでも首にできるということを企業に認めたのと同じ意味を持つ。これは企業の裁量権を認めるかどうか以前の判断の誤りではないのだろうか。


 法律の条文上は、正しい解釈であったとしても、社会の方向性や社会正義に照らしたとき、少なくとも司法もまた、その方向性に関して責任を負っている自覚がなくてはならない。それが今の日本の司法からは、感じられない。立法が国会の役割だというのなら、それをサボっている政治家に対して、司法からの注意喚起はあってしかるべきではないだろうか。実際、選挙に関しては、違法状態というような訳のわからない言葉で、注意喚起しているではないか。


 劣化の平成時代、抜け出せないデフレや格差、貧困の拡大などの大きな原因の一つが、まちがいなくこの非正規という名の低賃金労働者を数多く生み出したことにある。アベノミクスが途中までしかうまくいかなかったのも、この視点の欠落にあった。菅内閣になっても、グローバリズムや新自由主義的な政策ブレーンの登用を見ていると、菅総理もまた全くわかっていないと言わざるを得ない。

 きちんとした内需拡大と労働者の賃金の低減政策の廃止をしないかぎり、日本の明日は暗いままであろう。

令和2年10月17日(土)

2020年10月17日