大学入学共通テストの再検討よりも教育改革を

 大学入学共通試験について、大学等からの批判が多いのでもう少し検討をしていくと文部大臣が発言した。批判の的は、今回導入しようとした民間の英語検定の採用と、「思考力・判断力・表現力」を重視する出題、いわば改革の目玉と言えることについての批判が噴出したのです。

 批判の妥当性はさておき、この大学入試の方法そのものに欠陥があると言わざるを得ません。そもそも教育改革と言いながら、たった一つの入学試験をかえることで改革と言えるのでしょうか。もっと抜本的な教育改革をしなければ、この国の教育劣化は止まらないでしょう。文部科学省、学校、教育委員会、教職員などを含めて、もはや教育に関わるすべてが、一つの既得権勢力と化しているのです。いわば教育村というくくりです。ですから、抜本的な改革などほとんど行われないのも無理からぬことですが、だからといって、目先だけをかえたり、民間活用の美名に隠れた利権の企業への配分政策には、全く賛成できません。


 平成の劣化も、煎じ詰めれば戦後教育の劣化に他なりません。本当に国民や日本の将来を思うのであれば、どんな反対があろうとも、真に有効な教育改革を行うべきです。政治家も票にならないからと傍観するばかりでは、いずれそのツケは自分たちに戻ってきます。

 具体的な教育改革については、日本改革試案(烈風飛檄)で、すでにかなりの考え方を提示してきました。いまではかなり古くなってしまいましたので、いずれ書き直したいと思いますが、それでも基本的な考え方などは変わらないでしょう。ご興味があれば、ホームページをご参照ください。


 特に気になるのが、コロナ直前までの人手不足もあり、教員の質が非常に下がっているとの指摘があることです。個人的には、教員の質の低下は平成以前からのことだと思いますが、犯罪者が何度でも教師になって犯罪を繰り返しているなど、今すぐ対策ができるようなことですら何も手をつけられていません。この不作為の政治と社会は、とてつもなく恐ろしく感じられます。


 すべての基本は教育です。明治維新もその以前の武士道教育(武士だけでなく多くの庶民にも)があったればこその成功だといえます。教育軽視のツケはすでに社会の劣化や乱れとして現れてきていますが、不況が重なれば、より混沌とした腐った社会が出現しかねません。

 教育は直ちに成果が目に見えるものでもありませんが、ここまで落ちていれば、すぐに効果の出る具体案もかなりあると思います。後は関係者のやる気だけです。学術会議などと言う歪みきった集団も、こういうことこそもっと真剣に取り上げるべきでしょうが、既得権の塊である人達に期待しても無駄なのでしょうね。

令和2年10月30日(金)

 

2020年10月30日