民間に指示できない政府

 私権の行き過ぎた尊重が、様々な問題を生じさせている。学校でも私立には口出しできないし、まともな監督もできない。だから反日教育が平気で行われる。コロナ禍で政府の強い措置が必要だと言われながらも、外国のように強い措置を命令できない。民間病院には、コロナ対策でも何も言えず、必要なこともお願いするだけである。
 むろんこの問題の裏には、憲法がそうなっているという根本的な問題はあるのだが、それ以外にも、政治家がいくつかの理由でやりたがらないのである。

 一つは強い措置の法律には当然一部でも必ず反対が出る。そういう面倒なことが起きるのを嫌って逃げる。当然結果についての責任も問われるが、これまた官僚と一緒で絶対に責任をとらない。さらには、強制的な行政措置では、その経済的損失の補償など、財政的な裏付けと一体化しておく必要がある。財務官僚も政治家も、金を出したくないのでやらない。また、さらには、何をやってもただ反対と批判しかしない野党とメディアによる政府批判、バッシングをおそれるのだ。なぜなら、国民大多数がもう少しまともなら良いのだが、簡単にメディアの誘導や洗脳にだまされて、自ら考えようとしない。これでは、政治家は、自分の議員としての立場を守るために、人気が落ちることを避けることになる。

 結局訳のわからないパフォーマンスで国民をだまくらかすことのうまい政治家だけが生き残り、ますます社会は悪くなる。ま、そのまえに、まともに国や社会のことを真剣に考えている政治家がほとんどいないのだろうが。


 この状態を根本的に改めないと、これからも起きてくるであろう様々な危機的状態に国を挙げての迅速かつ的確な対応ができないままになる。一つの問題として、政府が政治家の責任で強い権限を持った措置を実施するのには、常に法律をそのたびに作らなくてはならないという問題もおおきい。

 今回のコロナ騒ぎでも、わざわざ法律を改正しないと、新型コロナウイルスを感染症に指定できないし、一度指定してしまうと、法改正しないと二類から五類への変更すらできない。これでは、柔軟な対応など不可能であろう。なんでも、法律の裏付けもないままにできてしまうのも問題なのだが、緊急時や先行きが不透明な状況において、すべ法律に条文化しなくてはならないというのは、明らかに行き過ぎである。
 悪用されないための歯止めは、別の問題として考えるべきである。むしろ、法律にはこの歯止めだけを書いておき、後は自由に対応させるのが正しいやり方であろう。

 憲法改正は9条だけでは無いのである。行き過ぎた個人的権利(私権)と公の福祉・要請とのバランスをペン法に書き加える必要がある。緊急事態宣言のための憲法条文のついかにくわえて、これが必要だと認識すべき。土地収用、空き家など、絡む事柄はたくさんあるのだから。


 憲法改正までいかなくても、あらゆる分野において、国や自治体が監督権をより柔軟に行使できるように基本法を制定しておくべきだろう。

令和2年12月24日(木)

 

2020年12月24日|ブログのカテゴリー:seiji, shakai