適正な利益を上げるお店を

 コロナで多くの飲食店が営業困難に陥り、廃業した店も珍しくなくなってしまった。そんな時に、言うべき事ではないのかもしれない。だが、喉元過ぎると忘れる国民性もあるので、誤解を恐れずに書いておきたい。

 日本ではどこの都市に行っても数多くの飲食店があり、およそ外食には困らない。この飲食店舗の数は、世界でもとりわけ多いそうである。このことには日本人の気質も関係しているし、多くの課題も関係している。しかしここでは、一つだけ指摘してみたい。


 店が多いというのは、必然的に零細なお店も多く、経営基盤は脆弱と言える。また大手でも店舗が多いということは、勢い薄利多売の経営に陥りやすい。いま多くの外食チェーン店が、不採算店舗の閉店をものすごい勢いで行っている。これは、その傍証でもあるのだろう。つまり、利益が少なすぎるのだ。

 消費者にとっては、おいしいものが安く食べられる今の日本社会は、素晴らしいものに見えるのだが、それは非常に危ういタイトロープを渡っているような社会とも言えるのである。どんな小さなお店でも、赤字では続かない。利益があがってこそ、お店は続けられる。今はやりの言葉(SDGs)など持ち出さなくても、ごく当たり前のことである。ところが、安さこそが正義という日本社会の風潮が、過当競争を生み、その結果従業員の給与も低く抑えられてしまう。

 薄利多売で店舗数ばかり追い求めるチェーン店の経営者や、過当競争をむしろ喜ぶ消費者は、そろそろ考え方を少し変えるときが来ているのではないだろうか。


 個人的に、松下幸之助の言葉を思い出す。利益を出せない経営者は、大手を振って通りを歩くなと彼は言った。利益を出せない会社は潰してしまえ、とも。過激な言葉の真意は、まさにこの話に通じるのだと思う。正当な利益を上げなければ、社員に給与も払えないし、税金も納められない。つまり社会に何も貢献していないのだ。そんな会社は存在価値がないと。

 家族でやっているような小さなお店に、このような社会の公器論はこくに聞こえるかもしれない。しかし、それがたくさん集まって社会が成立しているのである。安さだけを追い求めている限りデフレは止まらない。30年経っても、デフレが解消できない日本社会。それが気質のせいだとわかっていればこそ、みんなで意識的に変えていかなければならないのだろう。

 何十年も値段を上げられずに苦しんでいる「もやし」生産者などもいるのが、日本の現実である。極論すれば、正当な利益のためになら、談合ですら許されるだろう。それくらいの覚悟を持って、社会のあり方を考え直す必要があると強く思う。



 さらに言えば、日本人は少し食べ物でも贅沢になりすぎていないだろうか。高価でおいしい食べ物は、たまに食べれば良いのである。それをいつでも安く食べられるという考え方は、利益をなくさせ、過当競争と低賃金を生む一つの原因だと気がつかなくてはならないのだ。無論、適正な利益を確保した上で安ければ大歓迎であるが。

令和2年12月24日(木)

2020年12月24日|ブログのカテゴリー:keizai, shakai