日本語力の劣化=日本人の劣化

日本語力の劣化=日本人の劣化

日本語力の劣化としての演歌の衰退

 日本人の国語力の低下がめにあまり、もはや完全に劣化と呼べる段階のようです。「演歌の衰退は日本の衰退」として、かなり昔からブログなどでも警鐘をならしてきました。しかし、無名の恥かき(物書き?)の書いた物など人の目に触れることすらほとんど有りません。演歌が衰退した原因の一つが、歌詞の日本語を理解出来る力が著しく落ちてしまったことだと述べています。昭和歌謡曲以降のヒット曲と呼ばれる物のほとんどが、平坦で直接的な言葉の羅列からなる歌詞は大半です。今の若い人達には、昭和の歌の歌詞が正しく理解出来ないのです。行間を読む、心象風景などと言っても、この言葉自体が理解されないのですから。

 この日本人の国語力の低下が、社会において様々な問題となっているのですが、警鐘を鳴らす人はむしろ少数派です。ひたすら、英語力がダメだと、一体どこの国の話なのかという馬鹿げた話が溢れています。新型コロナウイルスで、タン樹運名経済効率や金儲けだけでは社会が成り立たないと思い知ったはずなのに、日々の生活に困らない層の人達は、全く意に介しません。こまったものです。

英語で考えるとは

 昔、上司で英語のうまい人がいました。何せアメリカ人からネイティブにしか聞こえないと言われたほどに英会話が上手であった。ちなみに、ネイティブとは、ネイティブ‐スピーカー(native speaker)のことで、英語を母国語とする人の英語と同じという最上級の褒め言葉です。そんな人だから、日本人との会話でもカタカナ語がよくでてくるかといえば、大違いでした。およそへんてこな、単語だけを英語で言うようなことは、まずありませんでした。

 本当にその国の言葉をきちんと習得して使える人は、それぞれの言語で考えて、その言葉をしゃべるのではないかと思います。昔の英語学習において、英語で夢を見るようになれば一人前などと言われたことがあります。半分冗談なのですが、必ずしもそうでは無いように思えます。

 個人的な話で恐縮ですが、私は英語の最初の授業の時期に、学校を休んでいました。その為に、アルファベットを教わっていません。そんなことからも、英語は苦手で大嫌いでした。あ、英語から解放された今も嫌いですが。それが、何の因果か外資系企業とご縁があるサラリーマン生活を長いこと過ごしてきました。その間、アメリカに出張して1年の半分以上を無効で暮らすことが数年有りました。その時に、英語が嫌いでしゃべれない私が、奇跡的な経験をしたのです。

 ひとつは、英語をしゃべっている夢を見たのです。むろん、夢ですから、英語だと自覚しているだけで、本当には違うのでしょうが、夢の中の自分ではそう思えていたのです。
 もうひとつは、画期的なものでした。それは、外人との会話の中で、自分が英語で自分の考えをまとめて話していたのです。これが、人生で最も英語の出来たときなのでしょう。英語を母語のように操れる人は、みなさん、こういうことなのでは無いでしょうか。つまり、英語をしゃべるときには、頭の中での思考も英語で行われていると言うことです。実際、英語で話そうとすると、日本語の時と異なり短い文で断定的な物言いになります。そんな自分を自覚するのです。

 日本語であれ英語であれ、言葉は頭の中で考えられてから、口を使かって発せられます。通常、人はその母語で考え、母語を話すのです。語学の達人は、この使用言語の切り替えが非常にたくみなのでは無いでしょうか。そう考えるとわかりやすくなります。

カタカナ日本人は頭が悪い

 はっきりと言えば、無知な政治家と知識だけの官僚ほどカタカナ語を乱用するのです。本当にその言語を使いこなせるほど習得した人は、中途半端に単語だけ別の言語で言うなどと言うことが、むしろ難しい野です。英語なら全て英語、日本語なら全て日本語なのです。
 さして、語学が堪能で無い人間以下義って、やたらと外来語を使いたがります。ここには、外来崇拝の気質もありますが、やはり自分で考えたり判断したりする知性の力が弱く、単に与えられた物だけの記憶しか出来ない知識偏重人間の姿がそこにあるのです。

 政治家などでやたらとカタカナ語を使う人物は、基本的に頭が悪いつまり知力が足りないと行っても過言ではありません。

専門用語の日本語化

 新型コロナウイルス騒ぎでは、実に多くのカタカナ語が飛び交いました。個々で専門家を責めるつもりはありません。むしろ彼らは、少しでも厳密に定義された言葉を使おうとしたのだと思います。それでもなお、明治期までの日本人は、外来語をカタカナのままではなく、わかりやすい単語を造語してまで日本語に取り込んだのです。ひょうめんだけではなく、真に内容を理解して咀嚼できていればこその仕事です。その力が、専門家にも薄れているのではないかと危惧されます。
 NHKもカタカナ語が好きですね。何か新しいこと、これまでと違う事を自分達が伝えているとの、妙な自信や自意識があるように見受けられます。ネイティブ‐スピーカーは、決してそれを自慢などしません。


 いくつかの項目で、日本人の国語力劣化について述べてきました。国語力がすべて乃学問の基礎であることは、今更言うまでも無いことです。ですが、その当たり前の事ですら、政財官尾はじめ日本の事件を握る人達が理解出来ていないことには、唯々頭を抱えるしか有りません。

 『歪んだ人達』の補章に、「演歌でわかる日本語力の劣化」をつけてみました。ご興味があれば、ご覧ください。(PRデス、ごめんなさい)

令和2年(2020)6月9日

 

2020年06月09日