稀勢の里の奇跡は日本復活の「のろし」

 森友学園騒動にうんざりしていたのは私だけではあるまい。そんな中で、日本中が感動する出来事があった。横綱になって初めての場所での、稀勢の里の奇跡の逆転優勝である。

 最後の一歩が勝てない大関として長く失望の対象であった稀勢の里が、今年の初場所で初優勝を成し遂げて、横綱に昇進した。運が良かっただけでは無い事をしめすためにも、今場所は頑張らなければならなかった。そんな彼に、多くの期待と一抹の不安とが寄せられていた。

 立場が人を作るのか、人がようやく立場にたどり着いたのか、とにかく横綱になってからは、めざましい快進撃を続けていた。が、好事魔多しなのか。一敗しただけでは無く、立ち上がれないほどの大けがを、生やTVで見た多くの人が、もはや休場止むなしと思っただろう。だが、彼は15年間の相撲人生で休場がたった1日という恐るべき力士だった。自力ではしばらく立ち上がれないほどのけがなのに、翌日にはもう出場していた。案の定というべきか、簡単に負けてしまった。その現実の前に相撲ファンのみならず、多くの日本人がこれで優勝は無くなったと感じたし、実際優勝はおろか千秋楽の出場すら疑われていた。

 そして迎えた奇跡の逆転優勝。インタビューで、男泣きしたことを詫びる彼の姿に、さらなる感動の波が押し寄せた。彼が単なる久しぶりの日本人横綱というだけで、多くの日本人が感心を寄せたのでは無い。彼が大関時代にどんなに批判されてもじっと耐えて、黙々と努力を重ね続けていた姿勢がある。さらには、横綱という地位・立場が、日本人の描く理想像としての横綱像を体現すべく、自ら実践している所にあるのだろう。勝っても負けても表情を変えない、敗者への礼儀を失わない、勝ち負けよりも品格ある立ち居振る舞いを重んじる。そんな理想の横綱である。

 大相撲の横綱の品格が問題となるたびに、大相撲はスポーツなのか、神事から派生した特別なものなのか、勝てない日本人力士の時代が長く続く事で、常にうやむやになって、表面は横綱の品格を求めることを強く言わなくなっていたのが実体だった。

 しかし、今そのくびきからようやく解き放たれたのである。もう誰に遠慮すること無く、横綱の品格を話すことが出来るのだ。稀勢の里の奇跡の優勝の真の意味は、ここにあるのだろう。仮に負けても構わなかった。その最後まで戦い続ける愚直なまでの態度こそ、大方の日本人が愛して止まない理想像としてのサムライの姿なのだから。これこそ、日本人の遺伝子の中に受け継がれてきた感性であり、どうしても理解出来ないという外国人がいたとしても仕方が無いことなのである。事故などで家族が亡くなったとき、どこかの国では異常なほどに泣きわめき大騒ぎをする。それを見て日本人はどこか理解出来ないのと同じなのだから。


 日本人の気質において、バブル崩壊後に日本人が本来の気質(孤高武士型)を取り戻しつつあることを述べてきた。そのひとつの証が、稀勢の里という横綱であり、彼への共感なのである。そして、彼だけでは無い。最近、上り詰めたトップの女優さんやアイドルなどが、芸能界から身を引く話題がよく聞かれるようになった。せっかくそれなりの地位を得ていながら、兄弟を養うという目的が達せられたからもう引退するとか、さまざまな資格を取得することが出来たので、その道に専念するために芸能界を去るという。

 自らのしっかりとした価値観や人生観を持って、自分が信じる道を進むために、手にした栄光すらも簡単に手放す事が出来る、そんな強い意志を持ち実行に移せる人が目立つようになってきた。

 これらはみな、日本人が本来持っていた感性により素直に生き、欧米流の価値観には合わなくても恥じることも後悔もしない。まさにサムライの魂を取り戻しているのだ。

 サムライなどと言うのは、年寄りの好きな愚かな事と批判的に語るおばさん知事がいるが、サムライと呼んでいるのは、日本人そのものの遺伝子にある理想像としての姿なのであり、それに共鳴できない人こそ、日本人としての遺伝子を持たないか、感性が日本人で無くなっているとしか思えないのである。


 世界の先進国で自国・自民族回帰の動きが強まっている。その中身は、非難されるべき事も多いのかも知れないが、それぞれの民族(文化集団)が持つ文化への回帰は、必ずしも間違った道では無い。日本人もまた静かにその道を歩み始めているのだろう。

平成29年3月28日(火)

 

2017年03月28日