令和を迎えて 

平成から令和へと時代が移る瞬間を我々は体験できる。それも、お祝いムードの中で。おめでたいことなのだろう。

平成について多くのところで様々に語られている。したがって今更の感があるのだが、お約束事として書いておこう。

バブル崩壊後の平成デフレは、経済の停滞だけではなく、社会全体の変革や進歩が著しく阻害された時代を招いた。技術立国が空々しい言葉と成り、金融、情報、AI、ロボットなどさまざまな分野で世界から取り残されてしまった。また表面的な平和とは裏腹に、人心の荒廃も進んでいた。自然災害の多発だけでなく、変革を嫌う集団農耕型気質の人々が、社会の実権を握り続けてきたことが主要な原因である。この気質の人達が大半を占めることで、多数決という民主主義は、時に最も悪い方向に向かってしまう。常に少数である優れた指導者の出現を許さないのであるから。

実はこれ、これから本にしたいと思っている小説に書いた一節である。しかし、言いたい事はここに言い尽くされているように思う。では、そんな平成に続く令和は、どのような時代になるのであろうか。

天皇の譲位による新元号と言うことで、人々も好意的でお祝いムードが高まっている。あきれるほどさまざまな改元関連のイベントなどが行われ、商魂たくましいところを見せてくれるのだが、それが本当の経済成長につながってくれれば良いのだが。

令和を語るならば、現在の世界情勢や日本社会の有り様を考える時、間違いなく激動、変化の時代といえるのではないだろうか。そんな時代を迎えるにあたり、いまの日本人にその覚悟や立ち向かう気力はあるのだろうか。

若い世代の人達の保守化(左翼から見れば右傾化)とは、間違いなく日本人が集団農耕型から孤高武士型気質へと変わり始めた証拠である。それは、変革の時代の証でもある。しかしその変革や革新が成功して、望ましい社会を生み出せるのか、それとも、ひたすら自滅の道をそのまま進んで行き着くところまで行ってしまうのか、それはまだわからない。

全ては日本人一人一人の心がけ次第であろう。現状維持、自己中心、拝金主義、原理主義、万能感などの人格障害症候群を抜け出せなければ、語るも惨めなものになる。

明るく迎える新次代だからこそ、今一度自分を見つめ直して、国や社会全体のことを考えて見ようではないか。世界はさておき、日本の令和はすばらしい時代だったと歴史に刻まれるように。

平成31年(2019)4月26日(金)

 

2019年04月26日