他文明受容の違いが問題を生み出している日本

 日本が明治維新で欧米とりわけ西欧文明を取り入れた事実には異論はあるまい。だが、その時もドイツ、イギリス、フランスの各国の違いをどのように取り入れるかは、かなり紆余曲折があったようである。そして、戦後は西欧文明と言うよりはアメリカ文明を受容する(押しつけられたのは確かであるが、受容しようという意識が日本側にもあったのも事実であろう)する事になった。

 西欧文明とか、欧米文明とか文明として大きくくくることはたやすいのだが、強固な自国文化を持つ日本のような国が他文明を受容する際には、結果がかなりまだらな形となる事が多い。

 現在の日本では都市計画がずさんというか、全く無いに等しいと言われる。これが日本人の国民性・気質によるものであるかといえば、それはうそであろう。最近テレビなどでも良く取り上げられるようになった戦国時代の城下町。その地形を利用した城下町の見事な設計には、ここまで考えられているのかと驚かされることも多い。むろん、自分たちの命(安全)に関わるのだから、当然と言われるかも知れないが、言いたいことは、日本人が都市設計が不得手と言うことでは無いということだ。

 関東大震災の際に整備された主要道路が、いまも尚東京における幹線道路の役割を果たしている。そもそも明治維新で参考にしたヨーロッパ諸国では、都市計画が行われるのが普通になっている。それが、戦後の無秩序な都市・地域開発となったのも、アメリカのやり方を見習いすぎたと言うことであろう。

 今日との街並みを保護する条例も良く取り上げられるが、ヨーロッパに行くと同じように街並みが保存されている。ではアメリカはどうであろうか?初めてカリフォルニアに渡米した頃、驚いたことがある。有る場所で延々と続く家並み。所がなんとそれがすべて空き家だと聞かされたのだ。国土が極端に広いアメリカでは、立て替えるよりそのままうち捨てて別の場所に建てる。環境が気に入らなければさっさと他に移る。こういう国と日本やヨーロッパの国々とは、やはり別であろう。

 ドイツでは、20年ごとに都市計画を作り直すことが義務づけられているという。戦後の日本は、焼け野原になった時に、大規模な都市計画を立案していれば、東京の姿ももっと変わったものになっていただろう。しかし、食べることに必死でそれどころでは無かった国民と、広大な国土を持ち極端な個人主義のアメリカ流を導入してしまった戦後の日本は、およそ乱雑な首都を生み出すことになってしまった。これは、大きく言えば、自国に合わない形での他文明の過剰受容が招いた結果と言えるだろう。

 戦後は欧米文明では無く、ひたすらアメリカ文明を追い求め無条件に受容してきた。そこには大局を考える孤高武士型の人物がほとんどいなくなり、小さな目先の利益を優先させがちな集団農耕型気質の欠点がでてしまったともいえる。

 基地をはじめいわゆる嫌われ者の施設についてもこの事が影響を及ぼしている。公共の利益より個人の権利を強く主張する住民に、自治体も国も及び腰となり都市計画も無い野放図な開発が、基地のすぐそばに住宅を建てるようなことが許されてしまった。基地などの周囲は住宅禁止の干渉区域が合ってもよいはずで、土地が狭いからと言うのは、都市計画を持たなかった事の言い訳に過ぎないだろう。もちろん、アメリカのように広大な土地であれば、誰も騒音の基地の近くになど住宅を建てはしない。土地が狭いからこそ、都市計画を立てることが重要なのだろう。むろん、嫌われ施設の方が後から作られる例もあるので、すべてがすべてでないことは言うまでも無い。沖縄などはその典型例であろう。

 都市計画と住宅の話はひとつの例であり、他文明を受容する際には、自分たちの環境や文化につて良く吟味した上で導入しないと、結局は後で後悔することになる。これは経済政策をはじめとするあらゆる政策に当てはまる事をもっと自覚する必要がある。

平成28年2月24日(水)

2016年02月24日