危機時にわかる人間性
・NHKの熊本の被災者の避難現場からの生中継のひどさが、ネットで話題になった。現場中継がうまくいかないことなどは、さして責められるべきでもあるまい。問題なのは、中継した人間の一方的な怒鳴り声のような大声やその内容、被災者へのインタビューのやりかたが、あまりにも独善的で、人に対する思いやりを感じられなかったことが、問題なのである。訓練された東京のアナウンサー達が、いくらきれいな言葉を並べ立てても、現場で生の人々と接したときに馬脚を現すようでは、この公共放送の本質がみてとれようというもの。
・関西テレビの中継車が、被災地のガソリンスタンドで割り込み給油をした。メディアとりわけ報道にかかわるものは、一体自分たちを何様だと思っているのだろうか?報道の使命の美名の元、自己満足だけの強引で恥知らずな行動が数々ある。ヘリコプターを大量に飛ばして救助を妨げた例もあったが、今回も似たような事が見える。
・さらに、MBS毎日放送(大阪市)のアナウンサーが、自身のツイッターに被災地で調達した弁当の写真を投稿して、批判され謝罪に追い込まれた。皆、自分の事が中心であり、周囲の状況や他の人への思いやりが完全に欠落しているのである。最近のメディア、特にテレビに出てくるテレビ関係者に、傲慢な自己中が目立つのは、メディアは特別であるとの特権意識を植え付けられるからであろうか。権力を恐れないことと、傲慢な特権者意識は全く別の物であるが、混同しているジャーナリストや知識人も多い。(4/20追)
・熊本県立大学が、避難場所を2日で閉鎖。指定緊急避難場所であり、長期滞在が可能な「避難所」には指定していないからと。大学側は「講義再開の準備のため閉鎖はやむをえない」というが、こんな非人道的な利己主義者達が、大学だというのだから、日本人の劣化には恐ろしいものがある。市との協定がそうなっているとか、合法であるとか、そんなどうでもよいことばかり言い訳にして、自らの非人間性には全く無関心。これで何を教えているのだろうか、この大学では。
私立国府高校では、指定避難場所でも何でも無い場所に、避難者が多く集まったために体育館を開放して、高校生達が支援活動を自主的に行っている。公立大学は恥ずかしくないのだろうか?(4/20追)
被災地では、自分がけがをしながらも近所の人を助け出したり、崩れかけた家から食べ物を必死で持ち出して、みんなで分け合ったり、井戸水や温泉施設を開放したりと、人間としての愛情や思いやりに溢れた行動も数多く存在している。
自分たちは困らない高見からわめくだけの人間など、避難場所で食べ物も無くてもおとなしくご主人様に付き従っている犬にも劣るだろう。
何かの危機に直面したとき、その人の人間性の本性があらわれる。ごまかしがきかないのだ。
平成28年4月18日(月)