山口2歳児救助で:警察等の行方不明捜索はおかしくないか

 山口で2歳になる男児が行方不明となっていたが、3日後に無事発見されて救助されたのは、久々に明るいニュースだった。それも発見者が78歳の捜索ボランティアだったので、TVのワイドショーが飛びついた。連日、現場にのりこんで大騒ぎ。もう少し、人の迷惑を考えられないのだろうか?もはやいまのTVメディアに、まともなことを望むのが間違いなのだろうが。

 捜索ボランティアなる救助者の話はすでにしたが、それでも、腑に落ちないのは、家からわずかに600mの所にいた子供を、警察などの捜索隊がなぜ発見できなかったのかという点である。発見者は、子供は坂を下るよりも高い方に登りたがるという経験則から、山側に入っていき無事に発見した。捜索のプロである警察が、こんな経験則すら知らなかったのだろうか?

 警察などを非難したいのではない。以前にもあった幼児行方不明でも、いくら大規模に探しても見つからなかったが、離れた自衛隊基地内にいたことがあった。共通しているのは、どうしてこんな所に、まさかここに、などの発言である。時折しも、大阪の留置場を脱走した犯人が広範囲に出没しているのに、後手に回って3000人の警官を動員しても見つけられていない。なにか、『捜索』という作業におけるシステムや仕組みに欠陥とまでは言わないが、漏れがあるのではないだろうか?

 今回も、警察がどこをどの範囲でどのように捜索したのか、地図上に書いてみれば、どこが問題だったのか、もう少しはっきりするのでは無いかと思う。何度も何度も同じ過ちがあちらこちらで繰り返されるいまの社会。なわばりつまりは、くくりへの撞着が強固で、他者の経験が全く活かされていないように思えるのだが。

 同時に、敵を発見する能力がおとっていれば、テロなども未然に防げないことにつながってしまう。自衛隊も含めて、平和時における敵探索技術の高度化を切望して止まない。

平成30年(2018)8月17日(金)

 

2018年08月17日