ミャンマーのクーデターに思う

 またか、というのが正直な感想である。クーデターがよく起こされるアジアの国と言えば、タイとミャンマーが思い浮かぶほど、聞き慣れてしまった。それにしてもこの頃のアジアでのクーデターは、意味がよくわからない。というのも、共産党など左翼勢力の政治体制を転覆させる目的であれば、まだわかるのだが、今回のクーデターもそうだが、民主的な政治体制の転覆というのは意味がわからない。

 これらの国の軍部は、一概に反共産ではないようである。その証拠に中国と接近して仲良くしている。となると、結局、共産党と軍の政党の違いはあれ、自分たちの党による一党独裁体制を保つことが目的のように見える。

 また共に仏教国であるからか、国民はさほど過激な抗議活動を起こさずに、簡単にクーデター軍に鎮圧されてしまう。民主的な政治を望んでいるからこそ、選挙で民主政党が大勝する。すると軍がクーデターを起こしてそれをつぶす。国民は仕方なくおとなしくなり、軍は少しだけ圧力を緩める。こんなことの繰り返しである。これでは、国の発展はいつまで経っても望めないだろう。


 問題は、このように国々に対する日本の対応である。アメリカとオーストラリアは早速強硬なメッセージを出して、ミャンマー軍への制裁すら、ほのめかしている。それに対して、日本政府は相変わらず毎度おなじみの台詞だけ。事態の推移を慎重に見守るだけで、何らの行動も口先介入すら行わない。これで良いのだろうか?
 欧米が非難すれば、これらの国はより親中度を強めるだけである。実際中国は待ってましたと言うことだろう。

 欧米流民主主義の押しつけではなく、さりとて軍や共産党の一党独裁でもない国家体制。それに一歩でも近づくための受け皿に、日本はなるべきである。ミャンマーも、これまで日本は軍とも民主派とも仲良くやりながら支援してきたにもかかわらず、結局はどちらからも裏切られてきたのが、現実の姿なのだろう。静かに話して教育で人を育てる、この理想だけでは済まないのが世界の現実である。

 日本人と異なり、他の民族には時に強い態度が必要なのだということを、もう理解しなくてはならないと思う。強さと寛容さの両方を示して、初めてこれらの国は日本の言うことを真剣に受け止めるようになるだろう。私にはそう思えるのだが。

令和3年2月1日(月)

 

2021年02月01日|分類:安保, 政治