洗脳で全体主義に流されている日本

 また一つ日本国民は、歴史に汚点を残すような愚かなことを行ってしまった。それは五輪組織委員会の森会長を辞任に追い込んだことである。この騒ぎが起きたときすぐに森会長は、辞任をいいだしたのだが、周囲が強く慰留を求めたために辞任をおもいとどまったという。いまとなっては、あのときやめておけばとの思いが強いのではないだろうか。

 森会長が、会合で「女性は話が長い」と女性蔑視ととれる発言をしたという報道に端を発した一連の異常な騒ぎは、日本人の質がここまで劣化したのかと言わざるを得ない出来事である。発言内容を擁護するという話ではなく、もっと本質的な話である。

 とりあえず、発言から明日の辞任表明までを、簡潔にまとめれば次のような経過になるのだろう。

 失言癖のある老人の話の中から一部分だけを切り出して報道を開始。
 同じリベラル仲間の外国メディアにネタを提供してかかせる。
 外来崇拝(欧米コンプレックス)を利用して、他の日本メディアも煽りに参加。
 男女平等など反対できない言葉で、人々を煽動してテレビメディアが騒ぎを拡大させる。
 SNSでも、一部の勢力が炎上を装い騒ぎを大きくする。
 付和雷同のネット民が、一緒になって騒ぎを拡大する。
 後はネットとテレビがお互いを利用しながらさらに特定の個人攻撃を強化し、同調を促す。
 行動をとらないものは、敵(不平等論者)と見なすようあおり行動をとらせようと仕向ける。
 メディアにとりあげられたいとか、目立ちたい等々、自己満足と自己愛の歪んだ人々が次々と参加。
 日和見などの人々が、意見にかかわらず、個人攻撃に参加していく。
 野党等が反政府メディアと結託して政局化にして騒ぐ。辞任させないのが政府の責任と話をすり替える。
 一部自治体の長などが、むずからのコロナ失政の隠蔽もかねて、自分は正しい側だとパフォーマンス。
 それをまたメディアが取り上げて、さらに火に油をそそぐ。
 したり顔の識者達が、いつの間にか日本文化の問題とか、組織論とか全く違う話にまで拡大批判する。
 
 かくして、会長が辞任すればまた責任だと言うであろうし、しなければ騒ぎをひたすら続けて与党を批判する。
 この目的がわかって参加している日本人は、今回どの程度いるのであろうか?

 
 一部メディアと一部SNSユーザによる誘導と炎上に簡単に同調してさらに激しく煽り、集団いじめとしか言いようのない報道をするテレビを中心としたマスメディアのひどさはいまさら言うまでも無いのだが、これに乗っかった多くの日本人が腐るほどいることに、正直恐ろしさを感じてしまう。

 この過程はまさにナチスが独裁政権を手にするまでや、戦前日本軍部を中心とした一部の勢力が、反米に世論を誘導した過程と同じ道筋だからである。


 全体主義という言葉の本来の意味は、「政府に反対する言論などを認めない云々」という話はこの際、面倒なのでやめておきたい。一般の多くの人が使うように、『特定の考え方や行動に染まって、それ以外はすべて敵または悪だと決めつけて自分たちへの同調を強く求めるもの』と定義しておく。

 民主主義は多様な意見をお互いに尊重することを基本としているが、全体主義はそれを否定する。右とか左とか、保守とかリベラルとか、男尊女卑とかジェンダーフリーとか、そのような思想信条に関わりなく、ある特定の意見と行動しか許さないのが全体主義の恐ろしさである。

 いかにコロナ禍でストレスがたまっていようとも、誰も反対できない男女平等という看板を楯にして、自己満足を達成するための発言や行為を行う、浅薄な知性を欠いた日本人が次から次へと出てきた。これは単に、同調しないと悪(敵)に見なされるという恐れからだけではあるまい。もう少し歪んだ、自己利益や自己満足のための行動である。そこには、いかなる正論も正しい認識も存在していない。感情のはけ口としての格好の餌があり、それにとびついただけなのである。そこには、日頃の社会に対する不満があり、さらにこれについては何をしても、何を言っても自分が責められることはないという安心感が、攻撃をさらに過激にしている。

 言い方をかえれば、これはもはや社会心理学の範疇の出来事と言えるのだろう。


 これを煽動したリベラル・左翼・ジェンダーフリーなどの特定勢力が、常日頃攻撃の対象としている全体主義を、むしろ積極的に呼び起こしたのである。目的のためには手段を選ばない彼ら彼女ら一部の原理主義者達は、意識してか知らずか、日本人の全体主義的傾向を揺り動かして起こしてしまったのである。

 一部の識者などから、一連のコロナ騒動が民主主義の持つ弱点の一つである全体主義に走る危険性を述べているが、同じようでありながら少し違うような気がしている。今一部の国でおきていることは、情報文明の持つ負の側面がよりおおきく影響を及ぼしているように思えてならない。確立した政府があろうがなかろうが、そういうことには無関係に、ある方向に国民大多数を誘導することが簡単にできてしまうことを知ってしまった、という事実の重さである。

 政治家のパフォーマンスと皮肉っていれば済む時代さえも終焉を迎えたようである。メディアを押さえ、煽動する方法さえ知ってしまえば、どのような方向にも人々を誘導できるとしたら、空恐ろしい世界である。その愚かさの先頭を日本国民が走っているとしたならば、なんとしてもここで止めねばならない。

 もはや今回の社会現象は、森会長の出来事や政局の話では済まないのである。もっと本質的で恐ろしい事態が始まっているのだと知るべきである。

令和3年2月11日(木)

2021年02月11日|分類:政治, 社会