総理のにやけ顔も外相のあくびもくくりへの病的撞着の証し

ウクライナへのロシア侵攻などの危機が発生している中、欧州各国は、豹変した。ロシアからの石油・天然ガス輸入の削減、軍事費の大幅増加などのように、激変した姿勢を見せている。日本のメディアは、全くと言っていいほどむししているのだが、もう一つ大きな事項がある。それが「脱炭素」の棚上げである。あれほど騒いでいたEUであるが、電気が不足しそうだとなったら、たちまち現実主義に即して政策を変えてしまった。石炭発電も原発も容認する姿勢に変えたのである。

いわば国家そして指導者が、欧州では豹変しているのである。それに対して、日本は未だに全く変わっていない。いまでも脱炭素批判しようものならメディアを中心に袋だたきにあうのが現実であろう。これは一体どういうことなのであろうか?

それにしても、なぜ日本の政治指導者達は、かくも鈍いのであろうか?ここにも気質特にくくりへの撞着が関わっている。ウクライナ危機が遠い異国の地のできごとであっても、エネルギー危機などは、日本が真っ先に影響を受けるくになのだから、危機意識はむしろ欧州よりも強くて当然なのだが、そうはなっていない。

この危機意識の希薄さ、緊張感のなさがよく出ていたのが、ウクライナのゼレンスキー大統領の日本の国会での演説時である。始まる前、岸田総理と林外務大臣は最前列で隣あわせで座った。演説が始まるまで、二人はリラックスしてにこやかに談笑していた。と言えば聞こえは良いが、だらしない態度とにやついた会話の様子がうかがいしれて、戦争している国の大統領がこれから日本に向けて話をする直前だという緊張感などみじんも感じられなかった。おまけに、林外相は、演説中にマスクをしていてもわかるようなあくびをして、ネットなど一部では騒ぎとなる失態を犯した。ようするに、二人とも緊張感もなく、自分たちがいる場面の現状認識も全くずれていたのである。

彼らは、典型的な集団農耕型気質の人間なのであろう。自分たちの小さなくくりの中で、お山の大将を気取り、くくり以外の外の事には全く注意をはらわないどころか、関心すらもたないのだ。くくりに病的に撞着していると言えよう。政界さらには自分たちの仲間だけの小さなくくりの中で生き、外の世界のことは、自分の利害得失でしか見ようとしない。典型的なくくりへの病的撞着の状態と言える。


前から気になっているのだが、岸田総理のあのにやけ顔どうにかならないのだろうか?人を馬鹿にしているのか、総理になって天下を取った気分の高揚がそうさせるのか、年がら年中にやついた顔でしゃべっているのが、殴りたくなるほど不快に感じてしまう。
人間の顔つきには、その人の本音が出てしまうことはよくあるが、出過ぎだろうと言いたくなる。これも、彼がいかに緊張感を持って総理大臣の任を行っていないかの、言葉を換えれば、自分の周辺だけのくくりの中に閉じこもって仕事をしているという証しにもなる。まさにくくりへの病的撞着である。これでは、何か通常と異なることがおきても、迅速な判断や行動など望むべくもないだろう。集団農耕型気質の人間が社会の実権を握ったときの恐ろしさを、具体的に目に見せてくれている。

令和4年3月24日(木)

 

2022年03月24日|分類:オン草紙, 政治