ロシアの戦争犯罪と共産党の恐怖政治は同根

 ロシアがウクライナにおいて、戦争犯罪と呼ばれる行為を行っている。欧米など西側先進国は厳しくひなんしているのだが、それは境の大勢では必ずしもない。
 暴力、拷問、殺害などの恐怖政治による統治のやり方は、ロシアに依らず共産主義/社会主義そして独裁政治における常套手段でもある。この残虐な恐怖政治による統治と戦争時における敵国民の恐怖をあおる行為とはおなじ発想なのである。
 それでも、これらの国々はなぜこのような手段に訴えて平気でいられるのか。それはやはり民族の気質に依るものだと言わざるを得まい。

 自由や民主主義が当たり前にならない多くの国々においては、国民も支配されることに慣れている面がある。統治する側もされる側も、力の信奉者なのである。力こそが価値を持ち判断の基準となる、そういう気質を持っているのだろう。それが世界の大多数であることが、やりきれないのだが。ロシアへの経済制裁に加わっているのは、わずかに33カ国にすぎない。世界には200の国や地域があるのだから、いかに少ないかわかるだろう。

 インドには申し訳ないが、アジアにおける自由と民主主義の価値観を共有する国としてよくいわれるのだが、ロシアよりを鮮明にしているだけではなく、この機に乗じて、ロシアから安価な石油を8倍も購入しているという。こういう振る舞いが、真に我々の価値観と同じなのであろうか?自国の利益だけが優先されて、人類の普遍的な振る舞いに価値を置いているとは思えないのだが。少なくとも日本人にはあわない感性である。こういう考え方自体も、日本独特であり、この部分は、33カ国とも相容れない考え方なのだと思う。間違いなく民族気質に根ざすものだろう。

 とすると、結局はアングロサクソンを中心とした白人同士だから助け合うが、アジアやアフリカでは同じ事が起きても、知らん顔なのだという、世界の冷めた目は、ある意味で正しいのだろう。人類全体にとって共通の普遍的な価値は、その根底に、同じ気質や感性を持たない限り、存在し得ないのであろうか?


令和4年5月21日(土)

2022年05月21日|分類:文化, 社会