人類が生み出した新しい独裁者と見えざる鎖
人類はその技術の進歩によって、新しい時代の幕を開けてきました。コンピュータや通信に関する技術の発達は、情報文明という新たな文明を人類に与えました。情報文明が議題にされるようになったのは、かなり古く昭和の時代にはすでにかなり議論されていましたが、それでも多くの人々が情報文明のただ中にいるというものではありませんでした。しかし、インターネットが、先進国のみならず地球上の多くの国や地域にまで広がり、人々がそれを簡単に利用できるようになったことで、人類が情報文明下に暮らしていると言えるようになりました。
しかし21世紀以降、この情報文明がもたらした恩恵だけではなく、明らかな闇の部分が表面化してきたように思えます。その最たるものが、情報文明を利用した新たなる独裁者の出現です。それが、メディアに関わる人々つまりメディアそのものと、SNSなどに代表されるようなグローバルIT企業の経営者たちです。
共産党一党独裁の中国だけではなく、様々な独裁的政治体制の国々は、多かれ少なかれ情報を統制管理することで、国民を管理し従わせているのです。情報を握ることにやって、人々の思想どころか思考の型までも特定の方向に誘導することが出来る、いわば洗脳出来ることが明らかになりました。その結果、新たなる独裁者たちが生まれてしまったのです。
いわゆるマスコミと呼ばれていたような時代においても、そこに働く人々が特定の思想信条を持って人々を誘導しようとしていたことは間違いありません。その後、テレビが大衆誘導に極めて有効な道具として認識されるようになったとき、日本では政権の転覆まで行えるのだという、まさに独裁者の考えをメディア関係者たちが持ってしまったのです。この特定の個人不在の独裁体制は、非常にたちが悪いものです。なぜなら、特定個人の独裁者は非難されることもありますが、多数の匿名独裁者たちは、直接非難されることも、責任をとらされることもなく、好き勝手な行動をとれるのですから。
日本とアメリカの主要メディアと呼ばれる勢力が、いわゆるリベラル、左翼に加担していることはもはや公然の秘密であり、誰も否定すらしなくなってしまいました。ここまで露骨になったのも、彼ら彼女らがまさに独裁者気分を手にしたからに他なりません。
マスコミからメディアと呼ばれるようになった経緯には、インターネットの爆発的普及があります。ネットが一般大衆に普及した結果、誰でもが情報発信者になることが可能となりました。そのために、既存のメディアは、むしろその混沌とした情報のるつぼに隠れることで、自分たちの独裁的な言動を遠慮する必要すらなくなってしまったのです。メディア関係者が、まるで選挙で選ばれた国のリーダーよりも偉いかのように錯覚しているのも、すべては独裁者意識のなせる業です。
それに加えてもう一つの独裁者が、SNSなどネットでの言論や情報空間を自由にコントロールできる力を身につけたIT経営者たちです。彼ら彼女らは国家の枠組みを否定し、自らの企業体の独裁的地位を強化しようとしています。新たな独裁者たちは、国境を越え既存の国家の支配層に変わって、世の中を自分たちの好きな方向に持って行くことを望んでいるのです。
情報文明は、人類史で言えばまだ始まったばかりです。にもかかわらず、ここまでその光と影がはっきりしてしまったのも、この文明が持つ特徴なのかもしれません。私たちは、すでにこの文明の持つ負の側面をできるだけ無くしていく努力が求められているのです。
弾圧に対して銃を持って立ち上がるだけが、独裁を終わらせる道ではありません。メディアやIT経営者たちという独裁者の弾圧は、目に見えない巧妙なものです。だからこそ私たちは、この独裁者たちと真剣に対峙して、これを正さなければなりません。さもなければ、目に見えない鎖によって縛られた人間になってしまいます。情報文明の奴隷です。
中国のような独裁国家は、目に見える弾圧と見えざる鎖で人々を奴隷化する両方を行ってきています。それほどたちが悪いのです。しかし、今のメディア独裁者たちは、それと戦おうとはしていません。なぜならまさに同じ穴の狢(むじな)だからです。
一人一人が、もっと情報文明下での見えざる鎖に警戒をすべき時なのです。
令和3年1月30日(土)