本質は下請けを知っていたかどうかではない(尼崎のUSBメモリー紛失事件)

 尼崎のUSBメモリー紛失事件では、委託先の従業員ではなく、その下請けの社員とされていたが、実はさらにその孫請けの社員だったということでもめている。
 尼崎市も、委託先だったBIPROGY(旧日本ユニシス)も、聞いていないと怒っている(怒って見せている)のだが、そんなはずはあるまい。IT業界にいた人間として事情はわかっているつもりである。そもそも下請けとはいわない。協力会社というのが決まりというか、相手への気遣いである。

 発注元から頼まれてあるプロジェクトをやるとき、自社の社員だけではプログラマーが足りないのは、自然のことである。工場でものを作るのとは違って、人間の必要数が常に変化するからである。最大の数を常に雇用しておくなどどだい無理なのだ。ですから、協力会社を使うのはある程度はやむを得ないと知って欲しいのが前提です。

 そのうえで、その協力会社がさらに下請けや場合によっては個人をつかっているかどうかです。これは大きなプロジェクトになれば、当たり前の事。では、それを知らなかったのかどうかという点です。公式には、下請けですとか個人バイトですなどと言われることはまずありません。したがって、尼崎やBIPROGYが聞いていないというのは、公式という意味では正しいのです。ですが、わからなかっとかといえば、それはほとんど嘘です。孫請け社員は、下請け社員への態度や口の利き方もちがうし、飲みに行くほど仲良くなれば、わからないはずなどないのです。

 したがって、問題の本質は、尼崎やBIPROGYが孫請けを知っていたかどうかではないのです。下請けだろうが孫請けだろうが、起きたことの責任は発注側にあると言う基本をおろそかにしすぎているのです。自分たちに責任はないかのような態度を見ると腹が立って仕方が無いのです。サムライは、自分のしたことではなくても責任を取って切腹することはよくありました。それが、ひたすら責任逃ればかり。もううんざりです。

 ITではびこる多重下請けは承認か黙認か、という問題は、別の課題として考えるべきでしょう。

令和4年7月7日(木)

 

2022年07月07日|分類:安保, 社会