スペイン、韓国にも抜かれた日本の劣化現状
過去3年間における自然科学分野で野研究論文の引用数で、過去最低の12位になった。前回10位だったが、スペイン、韓国にも抜かれた。とにかく劣化が止まらない。日本は論文総数でも前期の4位からインドに抜かれ5位、被引用数が上位1%の論文数も前期の9位からインドに抜かれ10位にさがっている。
日本の劣化自体は30年も前から始まっているので驚くには値しないのだが、それにしても、欲ここまでほってオクナというのが率直な感想である。政治家、官僚、財界そして多くの国民も、結局派利己主義の塊になっているので、国全体の衰退などどうでも良いのだろう。これについてはすでに色々書いてきたので、今回はこれ以上触れないで起きたい。
それよりも、今回の記事でいくつか気になることがある。一つは博士号の問題、もう一つが企業と大学との関係である。
まずお決まりの国からの支援、とりわけ大学への補助金の減額が響いているという問題。この研究開発費の補助金の減額が、優秀な研究論文がでない原因であると言う、因果関係の具体的な研究を見たことがないのだ。額が減って、引用論文も減ってと言う相関関係は認められるとして、それが原因と結果である証拠をみせてほしいのである。なぜなら、論文の引用が減っているのは、優れた論文がないということで有り、一方で論文数は下がっても5位にいるのだ。つまり、優秀な人材が減少したのが、本当の理由なのではないかという疑問である。数ではなく、質の劣化がひどいことを示していると、捉えるべきなのではないだろうか?
そもそも、劣化は30年も前から始まっており、例の大学改革(支援先を絞る)は、その後のことなのだから。
もちろん、大学への研究費減額が、影響していないなどと言うつもりはない。しかし今のままだと、いくら金だけ増やしても、質の向上が果たせるのかということである。
実際、日本の産学官を合わせた研究開発費、研究者数はどちらも3位なのである。
中国、韓国、アメリカでは博士がおおきくふえているのに、日本では増えていないとなげく。日本の博士は肩書きだけだというのは言い過ぎだと思うのだが、他国ではこの資格が研究者のスタートラインなのだから、取得するのはあたりまえである。日本社会はそうなっていない、これもあまり話題にされない。
もうひとつ、博士課程修了者の就職先がないなどというのは日本だけだという話がある。事実はそうだとして、企業や研究機関は、なぜ博士をほしがらないのかの理由である。日本企業が目先の利益しか追わなくなり、基礎研究をする博士などいらないと考えたからかもしれない。とすれば企業の利己主義をなおさないかぎり、どうにもならないはずだが、そこの切り込みもほとんどない。
また全体の研究者数はそれなりなのだとしたら、ここでも研究者の質の問題と研究内容が問題になるだろう。研究者のレベルをきちんと見極める尺度も、判断基準も、この国にはないように思う。基礎研究を軽視すれば大変なことになる、その通りなのだが、現状分析と解決の具体策を提示して欲しいのである。それこそ科学的に。
何を言いたいのかといえば、日本の長期にわたる劣化は、社会や国家全体の問題で有り、どこかの為に、何かを少し動かせば解決する問題ではないと言いたいのである。この視点なしで、いくら騒いだところで、劣化のゆでガエル状態は止まらないであろう。この問題は、何度も本にしているので、参照されたい。オン草紙・本棚。
令和4年8月28日(日)