新しいビジネスとしてチェック産業を

 およそほとんどの企業においては、その製品や作業内容のチェックが社内検査として行われています。しかし、その自らのチェックの甘さが問題となる例は、産業分野を問わず、常に発生しています。そのたびに、これは氷山の一角だとも言われるのですが、なぜもっと厳密なチェックが行われないのでしょうか。

 人の健康や安全に関わるようなものは、大抵が自治体や国など公の機関がそのチェックをすることになっています。ですが、人員と予算の関係から、これがほとんど機能していないのはよく知られていることです。


 人的被害まで出した医薬品の混入事件も、結局は社内でまともなチェックをしていないし、やり方もまたいい加減なままだったというのが原因でした。小林化工のいい加減な社内体制が、長期間にわたってみすごされてきたわけです。この間の経営陣が、利益優先で安全をないがしろにしていたことは間違いないのですが、過去からの経営層が刑事責任を問われるかはこれからでしょう。

 ですが、このジェネリック医薬品業界のずさんさは、ここだけではありませんでした。日医工という大手のジェネリック医薬品メーカも、75品目にわたって自主回収を一年も前から行ってきました。やはりこの不正が10年も前から続けられていたとわかり、またまた業務停止がきまりました。

 これまで騒がなかった大手メディアや監督官庁もいい加減ですが。ネットでは以前から言われていても、なぜかこういう企業の不祥事は大手マスコミ、とりわけテレビなどでは取り上げられません。企業が広告スポンサーだからでしょうし、取り締まるはずの官公庁との癒着もあるのでしょう。


 この現状を打破するために、これからは企業をチェックする機能を、社会全体の中に埋め込んでいく必要があると思います。監督官庁はそのままとしても、様々なチェックを行う会社を民間にもっと広くやらせるべきなのです。たとえば、公認会計士事務所は企業の財務監査を行うことがビジネスになっています。同じように、医薬品メーカが正しく検査をしているか、作られた製品に問題は無いのか、せめて年に一度で良いから、外部の専門会社がチェックをすべきです。

 監督官庁のすることは、企業がこのチェックを受けているかどうか、その結果がどうだったかの監視をすれば良いわけです。


 無論、すぐにチェック企業とされる側の癒着がおきるのが日本社会ですから、チェック企業には共同責任をとらせる仕組みにする必要があります。いい加減なチェックや隠蔽があった場合に、チェックした企業にも罰金を科すべきなのです。そうすれば、ごまかしはなくなります。また、査察は、すべて抜き打ちとすべきで、事前に漏らしていた場合にも罰金を科すべきでしょう。

 住宅やインフラ施工の不良など、あらゆるところでいい加減な仕事が蔓延しています。日本社会の質はすでに企業活動においては、性善説が通用しないほどに劣化しているのです。


 これを社会的なコストだとばかり捉えるのは誤りです。むしろ、新しいビジネス分野なのです。これからAIなどのIT化が進めば、いわゆるホワイトカラーのような事務職は、どんどん不要になります。単に大学を出て、大企業に一般職で入社というコースはなくなるでしょう。そのとき、様々な分野における専門知識をもって、チェック産業に勤める就職コースが生きてくるのです。
 当然のことながら、いまの一般教養的な大学もまたなくなるでしょう。一年でもよいので専門知識を身につける学校が増えていかなければなりません。そういう専門校こそ公の出資でも良いのです。あらゆる分野における、専門的なチェック知識を教える学校は、ダブるようなことも少ないはずです。司法試験に受からない法科大学院大学などより、これらの学校の方が、よほど社会にとって有意義でしょう。


 輸入食品の検査、農業製品の検査、医薬品・サプリメントの検査など国民の安全に直結するチェックも数多くあります。それをコストではなく、ビジネスとみることで新しい社会が生まれてきます。


令和3年3月3日(水)

 

2021年03月03日|烈風飛檄のカテゴリー:idea