飛び入学から真の飛び級(飛び科、飛び年)へ
学校改革のひとつとして大きいのが、真の飛び級の導入です。『真の』というのは、現在の教育制度にも飛び級はあるからです。正確には「飛び入学」と呼ばれるものですが、やたら制限があって、とてもまともとは思えません。まるで一部の人達の便宜上無理矢理作ったのかとさえ思える代物です。
学校改革で考える「飛び級」は、特定学科のみの飛び級を認める「飛び科」と、学年まるごとの飛び級を認める「飛び年」からなります。小さな子供でも、ある特定の科目だけ得意な子はよくみかけます。また将棋などの特定分野が優れた子供は、幼いときから学んでいることが多いのも事実です。それらを考えて、この二つの飛び級が必要だと思われます。
算数の得意な小学生は、飛び級で数学の授業だけ中学や高校、さらには大学の授業を受けられるようにします。飛び学年の飛び級も同様です。小学5年生から高校に飛び級があっても良いのです。今は年齢や6/3/3制に囚われた窮屈なものになっています。ですから、真の飛び級を実現するためには、その前提として現在の6・3・3制度を変える必要があります。
小中高の区分はこれまで通りでかまわないのですが、すべての生徒は、一年ごとの学年卒業とします。つまり中学卒ではなく、9学年卒となるわけです。学制の詳細は別に述べることにします。もう一つ飛び級をスムーズに行うためには、一年間のカリキュラム(学年の履修内容)の組み立ても考え直す必要があります。学習内容に対する考え方も、最低限必要な内容と応用部分とに分けて考えるのです。これも詳細は別にします。
飛び級が当たり前になれば、クラス別の時間割表は今をなさなくなります。時間割はあくまでも個人別になるわけです。例えばある科目の飛び級の生徒は、クラスでのその科目の時間には、別の飛び級先のクラスで学ぶわけですから。こうなると、先制が生徒一人一人の時間割を作成するのもこんなんです。いやでもIT化されていなくてはならないのです。私権も同様です。真のIT化は、真の改革を支援する重要で不可欠の存在なのです。
飛び級ひとつでも、実に多くの課題があります。教育の改革は、このように全体の改革無くしてはあり得ないのです。小手先の人員増とか機械化などはまやかしとすら言えるのです。
まずは、飛び級を規制改革しましょう。
令和4年5月2日(月)