勤労感謝の日(新嘗祭)のあり方
戦前は新嘗祭(にいなめさい)の日でしたが、GHQの指示で廃止させられました。それでもその日だけでも残そうとしたのか、勤労感謝の日という名の祝日になりました。しかし、本来の意義が異なるものになっており、それで何か意味があるのだろうかと思います。
だからといって、一部の人達の言うように戦前の新嘗祭を復活しろというのではありません。
そもそも新嘗祭とは何なのか、簡単に見ておきましょう。
新嘗祭は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄のため、神に祈願することを目的とした「宮中祭祀」のひとつですが、新たに収穫したお米などの五穀を天と地の神々にお供えして、収穫に感謝し翌年の豊穣を祈念するものです。祝日は一日ですが、祭祀は種々の事柄が数日掛けて行われます。この歴史は古く、神話の時代にまで遡るとされています。五穀豊穣への感謝ですが、稲作以前でも自然の恵みへの感謝の気持ちは変わらないものでしょう。
新嘗祭は、毎年行われますが、天皇が即位後の初めての新嘗祭が大嘗祭(だいじょうさい)です。神嘗祭(かんなめさい)との違いは対象の違いです。新嘗祭は、日本全国の神々(天神地祇)にお供えしますが、神嘗祭は天照大神にたいしてだけお供えするものです。
また新嘗祭は宮中だけでは無く、全国の神社で行われますので、国民全体の感謝祭でもあるわけです。その意味で国民の祝日であっても何も問題は無いばかりか、日本人が持つ自然の恵みに対して感謝の気持ちを現すものと言えるでしょう。
また多くの日本人は、新嘗祭では神々との共食「「御親供・御直会の儀(ごしんく・おんならいのぎ)」が行われます。食事を共にすることで、神々から新たなる生命を頂戴することにつながるわけです。多くの日本人は自覚しては居なくても、お祭りの後、お供えものを下ろして飲食する「直来」の経験をもっているはずです。新嘗祭同様のことを日常のなかで、当たり前のように行っているわけです。
国民全体の祝日にする意義は大きいものがあります。
勤労感謝の日を本来の新嘗祭の持つ意義に戻して、この日を『自然の恵みに感謝をする日』にしてはどうでしょうか。「自然感謝の日」ならば、日本人で反対するひともいないはずです。
一方、同じ感謝でも、勤労感謝の日は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」日として制定されたものです。
新嘗祭復活を望む勢力と真反対の勢力が、勤労感謝の日をメーデーの日(5月1日)に移そうと働きかけています。この思想・考え方には全く賛同しませんが、「勤労」と言うことを大切に思い、人間社会においては重要なものである事を認識する日があっても良いと考えます。その意味で、「勤労の貴さを学び、お互いの勤労に感謝する日」としての勤労感謝の日を制定しても良いのでは無いかと考えます。
祝日本来の持つ意義をきちんと再定義して、それを国民全体で共有する。学校ではこういうことこそ教えるべきでしょう。
令和4年11月23日(水)