閉鎖社会を開く,寮
学校を中心とする教育の抱える多くの問題の根本原因は根深く、その改善は非常に困難である。教師の質の問題にまでおよぶ課題は、教育界に限らず、現在の日本社会全体が抱える問題でもある。この人間の質の問題は、そう簡単には直らない。それこそ、子供のときからの教育を変えていかなくては、正すことは難しい。が、その教育界がすでに最悪。まさに、負のスパイラル状態といえよう。
それでも、あきらめないで、学校から直していこう。学校の問題といえば、教師や教頭、校長、教育委員会など教育にかかわる集団が、完全に閉鎖された社会の中にいることがある。教育の独立性といえば、聞こえは良いが、何をしても外の社会からはお咎めなし、という『村』社会を作っているに過ぎない。
「教育改革」の中でも様々な改革案を提示しているが、学校施設そのものから閉鎖性を取り除くことを考えた。それが、学校施設内に、学校関係者以外をたくさん入れることである。いまでも、何かあるとカウンセリングが派遣されたりしているが、いったいどれほどの効果が上がっているのであろうか?
具体的な人々を考えてみよう。
保健室(医師または看護師)、相談室(心理士、福祉士)、図書館(図書館書士、事務)、学校交番(警察官)、教室(派遣教師、ボランティア教員、専門指導員)、職員室(事務職員)、安全センター(警察官、システム管理・運用者、オペレータ)、受付・出入り口(民間社員)、休憩コーナー(販売員、事務員)等々。
その気になれば教育関係者以外も、けっこうたくさんいることがわかる。それが、意味を持たない、つまり教師たちと無関係なままなのが問題なのである。学校という教育の現場社会を構成する構成員は、決して教師と校長だけではないのである。他の人をこの教育現場社会に積極的に参加させないから、閉鎖的になる。だからこそ逆に、閉鎖的にはできない構造を、作り上げてしまうことが大事なのである。
その場合、現在ありがちなPTAと学校、教師と親というような、対立、批判の関係では意味がない。無論、良くある癒着も論外だが。学校施設を利用するのが生徒だけでなくなれば、いやでも様々な人々が参加してくる。それらの人々やそれにかかわる教師以外の人が一緒になって、教育の場、学校を運営していく形が重要なのだろう。
生涯教育であれ、地域の集まりであれ、専門授業の教室であれ、使用される施設全体を運用管理するのは、校長(他の呼び名にしても良いが)とし、そのもとに、給食センターから駐車場まで組み込まれたとしたら、これまでのような閉ざされた自分たちだけの社会ではすまなくなるであろう。
さらに対等な立場である、学校交番の警察官や各種コンピュータシステムの管理運用者たち。協力関係をうまく結べなければ、学校が成立しなくなる。
こうなれば、校長(施設全体の責任者)が、教育委員会の配下にだけあるわけには行かなくなる。
霞ヶ関であれ、地方であれ、このような省庁、部門をまたがる施設や運営など、既得権者と役人たちは決して許そうとはしないだろう。間違いなく、猛反対をする。だからこそ、政治が意味を持ってくる。財政難の折、縦割りの施設などありえないのだと、国民が声を大にして叫べばよい。学校施設をあらゆることに有効利用する場に変える事は、教育を変えることにつながっていく。
ここを突破すれば、日本社会全体の明るい未来が見えてくる。
この一連の教育改革の話は、今の大学相当の教育は基本的に除いて話している。この寮も同じである。学生寮ではあるが、学校施設の一部としての寮として考えてみたい。
私立の全寮制学校や航空などの専門学校の寮の存在はすでにある。もちろん、それらを否定するものではないが、学び舎としての学校を自由にしたように、この学校寮も柔軟な考えを取り入れたい。
そもそもこの学校寮は、どう利用されるのか。
・現在同様、遠隔からの通学を避ける理由が考えられる。全国に各種競技などの専用施設が、学校施設として作られることで、そこに集まる生徒も出てくるであろうから、そこからも寮の利用が増えると考えられる。
・土日など学校が休みのときだけ自宅に戻るような寮の利用法もある。
・単身赴任や入院中だけ、数ヶ月だけの短期入寮の利用。雪深いので冬場だけ入寮など、短期での利用はいろいろとあるのではないだろうか。
・児童養護施設との併用の寮で、様々なふれあい経験をする場としての寮。
・高学年になって、一人暮らしの前段階としての寮生活。
様々な利用形態に柔軟に対応できる寮を、いかにして運営していくか。それが大きな課題になる。寮は基本的には、学校と違い有料であるが、経済的な事情があれば、免除の対象とする制度もありえるのだろう。たとえば、片親だけの収入が少ない家庭などのように。特に片親だけの家庭で、親が入院でもするような場合に、緊急入寮できる施設が必要であろう。すでに、老人向けでは、デイサービスでの短期養老施設の利用ができるようになっているのだから、子供にも同じ環境を用意すべきである。
ただ間違えてはならないのは、現在の大学生向け学生寮のように、単に住むところを提供するだけのものであってはならないということである。つまり、最低限、食事はつかなくてはならないし、生活を監督する寮長がいなくてはならないだろう。
ある意味で、これらは、新たなる雇用の場ともなる。特定の学校と結びつくわけではないので、地域のホテルや旅館が経営するのも良いだろう。
あらゆる改革の基本に、「柔軟な社会」が考慮されているべきである。
平成24年7月