学校施設

 教育改革で、6:3:3制から1年次制に、柔軟な飛び級、補習、先行授業の導入、外部教師との連携などの導入を提案してきた。これらが、実際に行われていくには、施設もまた重要になる。教育を円滑に実施する場としての学校を、地域の中で、どこにどのような規模や内容でつくるかというのは、地域全体のあり方とも絡む複雑なものとなる。これまでの、学校ごとに閉鎖された空間であれば、人口密度などで割り振ることも可能かもしれないが、新しい教育の考え方は、学校中心ではなく、あくまでも生徒中心である。生徒は、必要に応じて、いくつかの場所(学校)を学びの場として利用することになる。

 また、学校施設を今よりももっと有効に活用するためにも、学校の施設は1年365日24時間使用されることを前提で構築されねばならない。地域住民の勉強や講習会の場所としても利用されるのが、本来の学校施設ではないだろうか。こんなところに、くだらない省庁間、自治体間の縦割り行政がいつまでも残る社会は、早晩衰退の道をたどることになる。次代を担う人材を育成する教育の場から、改めていかねばならない。

 すべての学校施設が、まったく同じ充実した設備を保持することは、困難である。離島や過疎地の非常に少ない人数の子供しかいないところに、大都会と同じ規模の学校は建てられない。だからこそ、なおさら地域割りが重要になる。ひとりしか生徒のいない学校で学び続けることは、必ずしも子供のためにはならない。できるだけ同年代の子供と一緒に過ごせる時間をもたせることは、まさに教育上の配慮である。とすれば、そのような場所からできるだけ近いところに、それなりの規模の学校があって、相互に行き来することが望ましい。いや、必須となる。

 また、大都会とはいえ、すべての学校にあらゆる種類の体育施設や実験室、実習設備をそろえることも、また現実的ではない。そこで、それぞれ、特徴ある設備を持たせて、相互に運用する形となる。それでも、生徒が通える範囲はおのずから限定されてくる。そのひとつの大きなくくりは、今の都道府県程度になるのだろうか。もう少し小さい範囲かもしれない。少なくとも、巷間言われているような広域自治体とか、道州とかの大きさでは、大きすぎる。道州制を唱える人は、得てして経済的な側面ばかりを強調する人が多い。人材なくしての道州制など存在しないのだということを肝に銘じるべきである。

 前置きが長くなったが、人口分布、地理的条件、地域特性等、多くの前提を考慮してある程度広域名地域をひとつの区分として、その中でネットワーク結合された各学校施設を、生徒が自由に利用することになる。


 具体的な学校施設の話にはいろう。


■建物

 決められた形などにとらわれず、地域の条件に沿って最適な形を考える。そのため、これまでの小中高単位の建物から、すべてが1箇所に集まったものまで、生徒の利便性を最大限考えたものであれば、こだわるべきではない。
 最大規模の施設の場合、小中高にあたる主要な二つか三つの建物の中心に、総合グラウンドを設けて、周辺に関連施設を配置する形が考えられる。1箇所にあれば、飛び級などのときに教室移動が便利である。

 各教室がある建物は、4階建て以上の教室数の多いものになる。各学年の生徒は、それぞれのクラスを中心にしながらも、実習や実験、美術、音楽など幅広い専門教室を渡り歩くことになる。ゆとりある数多い教室は、補習や先行授業などの、毎時間ごとの生徒数の変化にも柔軟に対応ができる。

 他の主要な建物としては、各種部活などで使用される施設や体育館、特別専門室、図書館、保健室、相談室など生徒が使用する建物がある。生徒以外が使用する建物もある。職員室、安全センター(セキュリテイ管理)、受付、学校交番などがある。非常電源、非常用備蓄などもあり、ほかにも、給食センターから駐車場まで、用意できればなおさら良い。これらは、同じ主要な建物の中に設けるか、別の建物にするかは、設計しだいであろう。


■安全確保

☆監視カメラ

 安全確保として、様々なシステムが稼動することになる。すべての教室や建物の出入り口、通路、トイレなどにはすべて監視カメラを設置する。これは、生徒や教師を監視するものではなく、異常事態や外部侵入者、トラブルなどを検知するためのものである。その数は相当膨大なものになるので、これらを一括管理する安全センター(セキュリテイ管理センター)が必要になる。それでもすべてのカメラ映像をモニターで見ることは不可能なので、システムを導入して、コンピュータ管理を行う。50台くらいの普通のモニターと、5-6台の大型モニターを組み合わせたモニター表示システムを数人で監視することになる。この監視員は、民間業者への委託がよいであろう。

☆出入り口チェック

 施設全体への出入り口には、IDカードによるチェックが行われることを基本とする。生徒は、各自ICカードを持ち、出入り口を通過すれば、自動的にシステムに記録される。とくに、低学年用の建物の出入りは厳しく制限する。低学年棟から高学年棟には、比較的自由にはいれても、逆は厳しいチェックがある。

 高学年棟には、一般の社会人や地域住民の利用もあるので、出入りは少し違った形が必要になるであろうが、基本的には、事前登録制にして監視する。

 業者などは、直接教室棟に出入りしなくても住むような建物設計としておくが、くわえて、入出管理を厳格に行う。


■学校交番

 なぜか、日本では、教育現場に警察が入ることを極端に嫌がる傾向がある。どこかで、誤った思想が入り込んだのであろう。生徒の安全を最大限確保するために、警察の力を教育の場でも利用することは、間違いでもなんでもない。とはいえ、この学校交番、いわゆる街中の交番をそのまま持ってくるわけではない。

 勤務する警察官も、特別な教育を受けた人材を用意する。日本の警察官25万人が、多いか少ないか意見は分かれるであろうが、この分の増員は認めるべきと考える。犯罪予防の面からも、犯罪予備軍がいなくなれば、社会での犯罪も減少する。

 だが、この学校交番の警察官の主要任務は、発生した犯罪への対応よりも、上記にあげた安全センターの運営にある。実際のモニター管理は、民間人が行うとして、それをさらに管理監督するものが必要になる。なぜなら、ここには、監視カメラのモニターだけではなく、様々なITシステムも備わっているからである。その管理者として学校側から教師や事務局員が出るだけではなく、プロの警官に立ち会わせようというのである。

 性悪説は好きではないが、重要な設備の管理運用では、情報漏えいなどの内部からのセキュリティを考慮しなくてはならない。そんな時、民間業者、学校、警官とまったく異なる3者がいれば、相互監視としては十分であろう。個人情報などの漏洩は、内部の人間によることが圧倒的に多いのである。

 生徒たちには、交番の安心感も与えられるし、地域住民などが集まる場合には、外部環境と同じ交番として受け取ってもらえれば、それはそれで意味がある。

 警察官の教育内容については、また別に述べよう。


■ICカード

 生徒が持つ非接触型のICカード。これは、様々なシステムと連動している。出入り口チェックだけではなく、各クラスの受講記録ともなる。クラスの入り口には必ずこの受け口がある。明示的にかざすなどしないですむのが一番良いのだが。教師はクラスにきて、教師用端末をみれば、出席予定者の誰が休みなのか、即座に見ることができる。学校自体大きなコンピュータ施設と見ても良いだろう。

 授業でわからないことがあったので、補習を受けたいと生徒が思った時も、このカード。教室内あるいは学校中にある専用機に、かざして登録すればその日の補習登録が簡単に済んでしまう。また、その補習授業がどこの教室で行われるのかも、表示される。補習を受ける生徒数は、その日、その授業ごとに違ってくる。そのようなことに柔軟に対応するには、システム化が不可欠となる。

 低学年の生徒が補習を受けるとき、いつもと下校時間が変わることが問題になる。そこで、家庭にある受信専用端末(これは学校用ではなく、国営放送受信用のもの)に、自動的に子供が補習を選択したという通知が表示される。いちいち、生徒が電話など連絡を入れる必要はない。


 このICカード、さらに機能がある。GPS機能である。安全センターでは、構内GPSの機能によって、ICカードを持つ生徒がどこにいるのか、たちどころに表示できる。こういう機能もあるからこそ、立会い警官が必要なのである。
 このGPSは、構内だけではなく、外の一般のGPS機能もあるので、低学年の場合、親が家庭から子供の居場所を確認することも可能と成る。


 とどめの機能が、ヘルプ機能である。音声認識というと大掛かりなものと考えがちだが、ひとつの単語認識だけであれば、チップは簡単にできる。どうにもならなくなったとき、このICカードに向けて「たすけて」といえば、たちどころに安全センターに通報がなされる。生徒の誰がどこで助けを求めているのか、即時に安全センターの大画面に表示される。同時に、周辺の監視カメラ映像も、大画面モニターに映し出される。
 病気、けが、事故から、犯罪、いじめ、不審者発見まで、すばやく関係者が対応をとることができる。

 ま、たまには、テスト問題の答えがわからなくて、「たすけて」と叫ぶ子供もいるだろうが、このシステムならそれもすぐに見分けられるであろう。(教育的には、それを決して、しかってはいけない。)

 ICカードを忘れることはよくあるだろう。そのときは、入り口で本人確信をすれば、その場で臨時のICカードが発行される。臨時といっても、企業などでよくあるゲスト用ではない。本人のものと同じ内容のICカードが即時発行できる。こういうシステムもあるので、安全センターの役割は大きい。


■特別学級

 支援を必要とする子供たちのために、特別支援学級の制度がつくられたのだが、いろいろと問題があると言われている。問題を論じるのはまた別に譲るとして、基本的な考え方を述べておこう。

 障害がある子供でも、病気療養中の子供でも、授業を受けられるクラスがあるのならば、基本的には誰でも自由に学校(というより学び舎の場所)を選択できるようにする。支援が大変で他の生徒に影響が出る、支援者がいない、統一行動が妨げられる、といった理由で、普通学級への通学を拒否される子供たちも多いと聞く。
 柔軟性ある社会なら、教育の場こそもっとも柔軟でなくてはならない。教師こそもっとも柔軟でなくてはならない。そのことを教えるのが教育大学だが、それができない教師は教師の資格がないとはっきりさせる必要がある。とはいえ押し付けるだけでは解決にはならない。まず、簡単なところでは、特別学校をこの学校の中に物理的に並存させてしまうことである。施設の多くの部分は、共同で使用できるはずだし、教室もいくつか特別仕様のものがあれば、問題ないはずである。

 閉鎖的に過ぎる今の学校を、より開かれたものとする。そのひとつとして、実社会と同じように、様々な人がいる集まりとしての学校は、教育上の効果も大きなものがあるだろう。思いやりやいたわりの気持ち、何気ない親切ができる学校を目指そう。


■休憩コーナー

 食堂やカフェテラスのような場所。売店もしくは自動販売機を設置。目玉は、周囲の企業や農家などからの、おやつの差し入れである。それがあるときには、校内放送があり、ここにくれば早い者勝ちで無料でもらえる。必ずわたせる、全員に同じもので公平にとかではなく、むしろ実社会のようにめぐり合わせがあることを、早くから実体験させる場にもなる。年長者が、後輩にあげるような場面が、当たり前になればうれしい。


■トイレ

 トイレが汚くて我慢する子供が増えているという。いらない道に予算をかけるなら、ここからやるべきであろうに。基本的には、教員用と生徒用を分けないほうが良いかもしれない。

 施設の話ではないのだが、日本の学校では授業中トイレを我慢する子が多いようである。インドなど、自由に抜け出してトイレにいく。もちろん、授業を聞き損ねないように生徒は急いで戻ってくる。この姿が、正しいのだろう。生徒の行動を縛り付けるのではなく、自主性をそだてるのは、こんなところからも出来て来る。

 時間にうるさい日本人は、とかく遅刻にも厳しい。だが、これほど大きな施設になり、教室も多い、補習、先行、専門、飛び級とまったく違う教室への移動もあたりまえになる。とするならば、いくら休み時間に余裕をもたせても、移動に時間をとられる生徒もでてくるだろう。これまでのような、厳格な遅刻禁止は、教育上からも間違っている。ある程度の遅刻はおおめに見なくてはならない。かといって、明らかにサボって遅れたりする生徒には、注意を後でしなくてはならない。教師の柔軟性(見極める能力)がここでも要求される。運営とか生徒への接し方とか、改めて別にまとめてみたい。


■自習室

 図書館や視聴覚室、PC教室などでも良いのだが、授業の合間ができる生徒は、増えるはずである。先行授業や補習など、受講が自由になればそれだけ時間調整の機会も増えるからである。そのときに、100冊必須の読書や、宿題をやれる場所として、ゆとりのある個人スペースの場所を設けておく。


■非常用設備

 非常時の備蓄とか、屋上のヘリポートとかもあるだろう。だが、一番重要なのは、生徒たちが自ら使う、使える避難経路や避難用器具である。これは、これまであまり研究されてきていないので、かなり難しいかもしれない。避難訓練も、型どおりのものでは通用しまい。


■小物

 教室にある教師用端末などの小物も数多く出てくるであろう。そので、使いそうなものをあらかじめ準備しておくことも良いだろう。小物では、クラスのグループ分けに使う色の着いた玉とか。

 昔は、授業で生徒をいくつかのグループに分けるとき、好きな人同士で勝手にグループを作らせるようなことがあった。今はないと思うが、決してやってはならないことである。仲間はずれをつくる遠因となる。実際、私もいつも仲間はずれになりそうな生徒を、同じグループに招きいれていた。そのたびに、教師の無神経さを呪ったものである。で、グループ分けをするときに使うのがこの小物。テレビ番組などでもよくあるように、箱に入れてみんなで引き、同じ色で集まる。時間がかからず、公平なわけかたになる。低学年の教室には、このような小物がいろいろあるのも面白いだろう。


■その他

 保健室、相談室など、現在の学校でもあるものは、たいてい用意されるであろう。ひとつだけ今はまずないものがある。それは、他の学校との間のシャトルバス乗り場である。専門授業で別の学校に行く場合などに利用される。少し離れた分校などとの間では、重要な施設となる。

 また、文化系、体育系の部活は200以上もあるという。異なる設備を、1箇所ですべて用意することはできないので、地域全体での効果的に分散させた施設を、考えることが重要になる。


■給食センター

 学校内には併設しないかもしれないが、この手の関連設備もいろいろあるだろう。連携した運用の進め方など、システム化の課題もあるだろうが、ここでは省略。


■環境配慮

 学校の建物、内部の色彩やデザインは非常に重要なものになる。画一的な味気ないものではなく、さりとて奇抜であきるようなものでもない、自然体で穏やかな、落ち着いたものが基調であろう。学校ごとにデザインはちがってもよいだろう、それが母校のシンボルにもなる。

 プライバシーには配慮しながらも、安全性確保、公開性確保などとの調和もはかる必要がある。外国のトイレでは、個室の扉の下の部分が開いていたり、会議室の囲いの上と下が透明になっていて中がみえる。これらは、みなその配慮である。教室などは、このようなものが望ましいだろう。とりわけ数が多いのだから、カメラはあっても、心理的な面からも必要である。


 他にもあるかもしれないが、ようは、これまでのつまらない、官僚主義的な建物から、自由で、柔軟性のある建物に変えなくてはならない。となれば、費用も少しかかるであろう。だからこそ、夜や休日は使わないなどというもったいないことは、許されない。365日最大限利用されなくてはならない。行政の縦割りや縄張りは、まず学校施設の利用によって破壊されはじめていくことになる。

 

平成24年7月

 

2012年07月11日|烈風飛檄のカテゴリー:edu