新しい教育制度

1年ごとの教育期間の導入


 現在の小中高という区分を1年ごとの区分に変える。小学1年から始まるとするならば、小学5年は5学区に、中学2年は8学区、高校3年は12学区、大学1年は13学区となる。
 つまり高校卒とか、大学卒とかではなく、第何学区まで終了しているかと言う形にする。この変更の最大の目的は、くだらない学歴重視の社会を変えることと、柔軟な教育を進めることにある。

 学歴重視は何も日本だけではなく、欧米ではエリ-ト教育とも関係してひとつの評価基準ともなっている。だが日本の場合、大学生が算数もできないことが問題になるように、あまりにも中身を伴わないものとなっている。また、学歴が東大などの権威主義と結びついたり、学会をはじめ多くのところに派閥を生み出すなど、社会の健全な発展を阻害している。福島原発事故で露になった、津波などの危険性を無視した背景には、この東大の権威と派閥の問題があった。

 教育を1年ごとに区切ったからといって、必ずしも今の6:3:3制をなくすということではない。ひとつの教育のまとまりとして、「学校」という期間と連動したものがあるのは悪いことではない。さらに推し進めていけば、現在の中高一貫などと同様に、自由に年月を区切った学校ができても良いだろう。1年ごとにしておけば、このような柔軟性を教育の場にも導入できる。

 そして、何よりもこのような考え方の基本にあるのは、学歴よりも人間の成長に役立つ学力を身につけること、人間の知性を向上させる生涯教育をあまねく社会に浸透させることなのだ。
義務教育と生涯教育
 義務教育は、高校まで延ばす考え方もある。しかし、義務教育を延長させる事により、様々な生き方を18才まで選択できない弊害をなくすために、あえて中学すなわち第9学区までとしておくのも一理あると思う。また、成人年齢を18才とするので、義務教育が終わると、いきなり大人になる形も避ける事が出来る。

 柔軟な生涯教育を実現するためには、硬直化した通学制度を改めねばならない。具体的には、社会人(未成年、成人によらないと言うこと)が勉強を仕事と両立できる環境を整える。つまり、夕方以降と休日の学校である。現状の夜間学校や通信教育学校は、ややもすると学歴偏重に陥りやすい弱点がある。特定の恵まれない人や社会的弱者が学ぶ場ではなく、多くの日本人が死ぬまで通える学校こそ、真の教育の場である。

 大学の多様性が叫ばれて、学科試験なしの入学などが流行ったが、結果として、半数が無試験で大学に入学し、中学レベルの学力も持たない大学生が多く輩出してしまうなど、弊害ばかりで機能していない。教育に単純なビジネス(大学運営ビジネス)の考え方だけを導入したために、生徒の数だけを確保すればよい、生徒とは顧客である、などの誤った概念を生み出してしまった。それが今の日本の教育や研究の質の低下の一因ともなっている。

 教育にも競争原理を導入すべきなのは当然であるが、商業主義が有るべき競争をもたらすとばかりは言えないことの良い見本である。教育のもつ特殊性はそれだけでは片づかないところがある。


 大学の多様性とは、その専門性の多様性もさることながら、たとえば様々な仕事を持つ人に、その仕事に関わる知識を習得したり研究をおこなう場を提供することである。それを大学と呼ぶかどうかは別として。少なくとも特定の専門分野を1年間学んだ事を証明する事も、これからの大学の大切な仕事になるであろう。(後述。)
 単にあるスポーツが出来る学生を普通の学部に入れて、他の学力を無視して卒業証書を与えてしまうようなことは、こういう柔軟な制度が出来れば無くなるであろう。つまり、スポーツならスポーツの単位取得認定を、漁師なら専門知識を学んだ漁業の単位取得認定を行うようにする。むろん、学歴主義ならぬ証書主義がはびこらない工夫が必要なのは言うまでもない。


 自由に出入りができ、実力に応じてどのレベルからでも入れる柔軟性こそ、教育に必要な基本である。また、教育に特定の期間はない。生涯学習が社会の提供する教育の基本となる。

 大学にいっていたが、子供ができたので一度中断し、子育てがひと段落したところで再開。仕事をしながら夜間に通っていたが、海外赴任になったので一度中断し、帰国後にまた再開。こういう柔軟性がある社会でなくてはならないのだ。


エリート教育


 欧米をはじめとして世界で教育に力を入れる国の多くでは、いわゆるエリート教育が盛んに行われている。日本ではとかく金持ちや特権階級優遇の不公平なシステムといわれがちである。このあまねく平等という意識が、個人ごとの能力をも認めない風c表を生み出してしまった。脚が早い、絵がうまいなど、すぐに区別できるものはまだしも、数学の能力が高い、歴史認識力が飛びぬけているなどは、なかなか個人が持つ特別な能力だとはみなされない。

 したがって、欧米流のエリ-ト教育が日本社会に根付くかどうかはわからないが、少なくとも、知的能力を素直身認めて、それを最大限伸ばしてやる環境は是非とも作らなくてはならない。教育の柔軟性が問われている。

 手始めに、いわゆる飛び級を柔軟にみとめ、出来る部分は伸ばしていく。飛び級は、学年全体でも、特定科目のみでも良い。そうすることによって、総合力を維持しながら得意分野をさらに伸ばすことができる。むろん、飛び級でも補習は受けられるようにしておくべきであろう。(補習については別途、論じている)


職業大学


 航空学校や水産学校など特定分野を重視した学校はすでに存在している。これを拡大していく。いわゆる職業訓練学校ではなくて、それぞれの専門分野で働く人が、関係する学問や知識をさらに深めるための大学である。したがって、義務教育さえ終えていれば誰でも入学できる。おおむね1-3年程度の内容を用意して、1年単位で自由に通えるようにする。たとえば、染色の職人ならば、色彩心理学を学べるとか言う具合である。


平成24年5月

2012年05月11日|烈風飛檄のカテゴリー:edu