いますぐ出来る教育改革

 教育改革についてはすでにいくつか述べてきたのだが、まだまだ終わりそうもない。根本的な改革がなかなか進まない事には危機感を覚えるのだが、現在進められようとしている改革案もとても満足のいくものではない。いやそれどころか、結局この国の教育に携わる人間は、組織や制度や方法論ばかりで肝心の生徒(人間)を見ていないのでは無いかと怒りすら覚えるのである。

 怒りはさておき、今すぐ実行可能で簡単なことがある。それを全国の学校で、実施してもらいたいと思うのだが。そのひとつとして、生徒全員に「何かでクラスの1番」を必ずとらせるという案は、「教育改革:学びの場」の中ですでに述べている。子供に、自分の存在を認めてもらえているという自尊心を養い自信を持たせる、同時に自分がクラスひいては社会の一員であると言う安心感を持たせる事につながる。是非実行してほしいのだが、この案の実施は、教師側にかなりの負担をかけることになるだろう。ただ、そのぐらい生徒一人一人の事を考えてほしいと言うことでもあるのだが。


 もっと簡単に実行できるものをいくつか提案したい。

月初に誕生日を祝う
 お誕生日会なるものが話題となった時期がある。なかまはずれとか、豪華なプレゼントとか問題も多かったようである。ここでは、そんなものとは無縁のお祝いの言葉だけ。

 月の初めの授業日に、その月に誕生日を迎える生徒を集めて、たったこれだけ。
 「お誕生日おめでとう」
 「ありがとう」
 この何気ない誕生祝いもまた、子供たちに自らの存在を意識させ、自分がこの社会に受け入れられていることを感じさせる。特別なプレゼントや、余計な事はむしろ何もやらない方が良い。心のこもった言葉こそ最高の贈り物である。
 言うまでも無いが、月1なのは、休みの日や閏月に当たるなどで漏れる子供が出ないようにするためである。したがって、夏休みなどがあれば、その月の生徒も含めるのは当然の配慮である。

朝一人ずつ3分発言
 日本人のコミュニケーション下手が問題となったりしているが、ようは慣れの問題である。そこで、幼稚園くらいから、毎朝一人ずつ交代で前に出てきて、3分間話をさせる。内容は何でも良い。昨日のできごとでも、教師への不満でも、あるいはいじめの話かもしれない。自由に本人の思うままを話させる。月に一度位の割で回ってくるうちに、人前で話をすることにも慣れるであろう。それは自信にもつながり、考えさせる能力向上にもなる。
 朝わずか10分の時間を惜しんではならない。

各授業前に1分体操
 これは教師側の課題になるが、授業開始の前に1分間の時間をとる。そこで、深呼吸でも良いし、目玉のぐりぐり体操でも、遠くを見ることでも、両手を伸ばす運動でも、反対じゃんけんでも、何でも良いから身体を動かすことをする。
 区切りをはっきりとつけることで、次の授業に頭を切り換えやすくなる。近視予防の眼球体操などは、すでに実施している学校もあるが、実際軽い体操が良い効果を生むこともある。各教師が自分の特徴を示す意味でも良いことであろう。

100冊読書
 これも一部の学校では取り入れられている。たとえば、小学校の間に100冊、中学の間に100冊というように、100冊の本を読破させるのである。文芸書に限らない。好きな分野の本でも、電子本でもかまわない。読書は、経験を広げ、頭を柔軟にしてくれるなど、効果を今更上げる必要も無いだろう。
 ネット時代、自分が発信側に回り過ぎて、本を読むことが無くなってしまった。それは、視野狭窄の人間ばかりを生むことになる。

トイレ自由化
 低学年ではトイレも時々物議を醸す。冷やかされるのがいやで我慢してしまったり、健康にも悪影響がある。授業中は、教室を抜けるのは悪いことであると言う、いまの日本の学校の意識を変えるべきであろう。
 授業中であろうと何であろうと、トイレに行きたくなったら、その時点で自由に行かせる。本当に授業がおもしろければ、少しだけ我慢したり、行っても大急ぎで戻ってくるだろう。そういう雰囲気の学校を作ることが、最も重要なのである。大げさに言えば、自由意志の尊重と行動の自己制御につながる。

飲み物自由化

 これは、給食を含めた食育全体の中に含まれるので、なかなか実施は難しいのだが、教室に水を飲む機器、たとえばウォーターサーバなどをおいて、いつでも自由に水を飲めるようにしてかまわないのではないだろうか。いまの閉ざされた空間、教え込まれるだけの空間という教室のあり方は、再考されるべき時が来ている。
 小さい時から、自分を正しく制御出来るように指導しておくことは、教育の大きな役割のひとつである。

 食育全体についても、すでに述べた内容だけでなく、もう一度書き直そうと思っている。


 教育の根本的な大改革が必要なのだが、今すぐにでも出来る事から始めるのも無駄ではあるまい。あとは、教師や学校などの側に、やる気があるかどうかだけである。

平成27年8月22日(土)

2015年08月22日|烈風飛檄のカテゴリー:edu