コロナ後の世界:たまに発生する事象への対応②
「コロナ後の世界:たまに発生する事象への対応①」では、建物、設備などの柔軟性確保の必要性に触れました。もう一つ社会が柔軟性を持つためには、そこで働く人々の柔軟さも求められます。いくら設備が多目的化していても、そこで働く人達が常に限られているのでは、何の意味もありません。その時に必要な人員が、他の部門から臨時でも増員されてこなくては成りません。
新型コロナウイルスで、PCR検査が日本では以上に少ないことが問題となりました。他のおおくのくにでは、数ヶ月もかからずに大幅に検査数が増加しましたが、日本では2月に専門家会議からも指摘されながら、5月になっても他国とは比べようのないお粗末さでした。
PCR検査のために必要な試薬をはじめとする機材の不足もありましたが、何より検体を採取出来る人材と、実際の感染有無を調べる検査技師が圧倒的に不足していました。
個人的には大きな疑問がありました。検査技師はすぐには増えなくても、なぜ検体の採取くらい多くの医師が出来ないのだろうかと。なにせ医師会が、当初はPCR検査の拡大に反対していたのですから。防護服などが無いからと言う理由はさておき、医師であれば誰でも感染症の検体の採取くらい出来て欲しい物です。そうでなくては、高度な専門知識の持ち主という看板が泣きます。
ここでも、はじめから医師の資格に、感染症の検体の取得技術がきちんと当てはめられていないからでは無いでしょうか。教えているのかいないのか、よくわかりませんが、出来るようにしておくべきなのです。
このように、普段はそれぞれの分野の業務をこなしながら、何かあったときには、すぐに必要な人材が集まれる。それが人材の柔軟性です。感染症の検査技術だけではなく、社会のあらゆるところで、このような人材の柔軟性が求められるのが、コロナ後の日本社会です。
少子高齢化だけではなく、産業構造があっという間に変わってしまうような変化の激しい時代において、人材もまたいくつもの技術を持つことが求められます。それが、失業から身を守ることにもつながります。
企業も匠のような優れた熟練工だけではなく、幾つかの業務がこなせる技術者育成も考えておくべきです。
高度成長期のインフラが経年劣化となり、大きな社会問題になっています。インフラ再構築の資金が無い事も問題ですが、技術者不足も深刻なのです。これから、新しくなにかをつくる企業は同時にその保守(メンテナンス)も引き受ける会社であるべきです。社員もその両方の技術があれば、その時々に応じて柔軟な仕事の割り振りが出来ます。
個人的な話しですが、学生時代に和文タイプを習いました。ですが実社会で使う事も無いうちに、和文タイプそのものが社会から消えてしまいました。これからも、多くの技術が消えていくことでしょう。だからこそなおさら複数の技術を習得しておく必要があります。そしてその事が、柔軟な社会を構築することにもつながるのです。
学校では、様々な職業に興味を持たせること、大学を改革して専門技術大学として、様々な業種技術を実践的に教える体制を取るべきです。柔軟なしゃかいとは、社会そのものの変革が無ければ達成できないことなのです。
令和2年(2020)5月23日