科学知識の国民への浸透策①
劣化の平成時代は、日本の特長の一つであった「技術立国」ですら、遠い昔話にしてしまいました。日本全体の科学技術力の低下を取り戻すのは、そう簡単なことではありません。結局は、教育の問題に帰着してしまうのでしょうが、それでも、少しでも劣化を押しとどめて、科学に関心を持つ人々を増やしていくことは重要なことだと思います。ここではそのような施策の一つを考えてみたいと思います。
私自身は「知のだぼはぜ」を自認するほど、科学的な新しい知見・知識に興味があります。大きくは宇宙のことから、小さくは量子のことまで、人類の歴史から日本の考古学まで、産業に関わる新技術から人間の心に迫る心理学や脳科学など、まさにだぼはぜです。結局何もまともに身にはつかないのですが、日々の知的好奇心は満たされます。特にインターネットの普及によって様々な知識を簡単に入手できるようになりました。これはうれしいことなのですが、反面、情報の海に溺れかかっています。ある特定分野での自分の知見よりも現在の研究成果の方が遙かに進んでいるのを知ったときは、悔しささえ覚えてしまいます。
私のような例は極端にしても、人類の進化の原動力のひとつは間違いなく知的好奇心だと思います。この人間が持つ知的好奇心に対して、日本では果たしてどれほど満足のいく情報が提供されているのでしょうか?確かにネットには多くの情報がありますが、今では情報過多であり、その中から捜し出すのすら大変な作業になってしまいました。検索結果の上位が正しい情報である保証もなく、また専門論文も断片的なものばかりで、大きく物事を捉えるのには必ずしも有効ではありません。
また最近では、ネット上の有料コンテンツが増えてきて、ニュースやコラムでも2ページ目以降は有料ということで、尻切れトンボに終わります。無料での情報提供には限度があることはもちろん理解していますが、さりとて、多くの有料コンテンツを購入するのは、あまりにも費用がかかりすぎます。とても、だぼはぜには無理な相談です。
こうしてみたとき、日本の科学技術力の劣化の原因として、知的好奇心を満足させるあるいは惹起させるようなコンテンツが、あまりにも不足しているのではないでしょうか。学術会議に10億円もかけるなら、こういうところにお金を回すべきです。文部省も科学技術庁も、こういうところに十分な施策を行っているようには見えません。こう言うと、また民間の特定業者に丸投げするだけでしょうから、気をつけなくてはいけませんが。
本来は教育システムをしっかりと構築して、そこに各分野の専門家たちによる最新ニュースや研究成果などが掲載されるべきでしょう。しかしこれには時間がかかります。これをやりながら、子供たちが自分の興味に合うかもしれない科学の知識や文化の情報に接する機会を増やす努力をすべきです。
情報省と防災省が作られたとき、同時に情報受信端末が作られます。この端末の「全国チャンネル」では、一般のニュースだけではなく、様々な専門分野でのニュースをより多くの時間を割いて流すべきです。できれば学校で見れるように、こども科学ニュースも良いでしょう。こういう科学的話題や情報があるということをまず子供たちに教えてあげる、それが重要なのです。
もう一つが、様々な分野の情報を目次だけで良いので、ネットで一元的に提供するコンテンツです。専門論文のデータベースはすでにありますが、なぜかいまいちです。それは何が新しい情報なのか、どういう動きが起きているのかという全体像が全く見えないからです。データベス化の弱点はここにあります。この弱点を補うものが必要なのです。中身まですべて集めようと欲張らずに、手がかりを提供する、そんなコンテンツが望まれます。
最後に蛇足ですが、日本の学者の多くの皆さんに言いたいのです。基礎研究に金をよこせ、学問の自由を守れ等々、要求はわかりました。では皆さんは、どれほど世のため社会のために自ら情報を発信する努力をしていますか?一部の学者や専門家は、それを一生懸命に実行しておられます。ですが多くの人は、専門家というくくりに撞着してあぐらをかいてはいませんか?それと、私にもわかるような誤った情報を流して欲しくないですね。ましてや科学知識に個人の政治的・思想的な主義主張を持ち込むことは、現に慎むべきだと思うのですが。歪んだ環境から新しい技術は生まれてきません。
令和2年(2020)10月20日(火)