予防的政策がとられる社会に

 以前に「犯罪予防機動警察の創設」を書きました。これは、警察の役割で改善の余地がある事柄について述べたものでした。その基本的な考え方が、犯罪を起きてから犯人を逮捕するのが警察の役目だということから、犯罪を起こさせないことにもっと力を入れるべきとの趣旨でした。

 ストーカー行為での警察の不手際が度々問題となり、かなり改善されるようになりました。それでも、最近も、11回も警察に相談したにもかかわらず何ら対応をとらなかった結果、被害者が殺害されるという最悪の事態となった事件がありました。さらにこれにはおまけまでつきました。この県警のトップ二人が記者会見を行ったのですが、県警本部長はいわゆるキャリア官僚ですが、質問を受け付けず、この問題については1分も答えずに終了させてしまったのです。しかも、このトップ、女性だったのです。周囲から止められたのかもしれませんが、同じ女性として被害者への同情や、自らの職責への自責の念を示すような発言をなぜしなかったのでしょうか?この感覚が、とうてい人として信じられません。ですが、ここではこの話ではありません。

 予防的な政策や仕組みがあまりにも欠けているのが、今の日本社会ではないでしょうか。事件にならないと動かないのは警察だけではなく、何か問題が発生しないと、必要な処置や法律の改正をしない官僚と政治家は、警察と全く同じです。これは、単に「官僚的」な仕事という言葉ですむものではありません。日本社会のあらゆる場面で起きています。災害が起きてから対策、事故が起きてから規制、すべてが後手なのです。いや、むしろわざとそうしているようにさえ見えます。なぜなら、官僚にはどう見ても焼け太りを良しとする姿勢が見えるからです。問題が起きても責任をとらされることはまずありません。それどころか、その対策と称して、自分たちの予算や権限を拡大することをやっています。そして、それを許しているのが、政治家であり、多くの国民なのです。この現状を真剣に考えるべきです。


 どうも問題点ばかりが目について、なかなか話が進みません。警察以外にも見られる予防的処置の欠落した分野の例を見てみましょう。

 最も大きなものが、医療分野です。検察同様に、今の医療では、病気が起きてからそれを治療することを目的としています。無論かかってしまったら直さなければなりません。ですが本来は病気にならないこと、これこそが正しい姿です。そのために必要な予防的医療にもっと予算や政策を動員すべきなのです。治療の病院だけではなく、予防の病院を作って、患者を出さないようにする。そこにきちんと対価を支出すべきです。無論よぼうというのは、その成果を正しく把握することは困難です。下手をすれば、詐欺もどきの予防医療費が出てしまうかもしれません。そこに気をつけながら、バランスのとれた仕組みを考えましょう。

 医療と絡んでは、老人福祉の問題があります。老人医療費の増大や老人の介護福祉は大きな社会問題にもなっています。ここでも、発送を転換すべきでしょう。ひとでがたりないから、もっと人を増やして、手厚い老人介護をすべきだと言う意見があります。誰も反対できない正論に聞こえます。しかし、昔の殿様でもあるまいに、一人の老人に上げ膳据え膳、何人もかかりっきりですべての面倒を見る、単に費用の問題だけではなく、果たしてそれが本当の福祉なのでしょうか?
 最近では、かなり強力にリハビリを行った結果、認知症や身体機能の改善が見られた例が報告されるようになりました。これなども、殿様介護からの脱却と言えます。これをもっと進めていけば、そもそも老人介護が必要とされ無い社会になることも夢ではありません。

 これはさらにいえば、終末医療ともつながります。寝たきり老人への過剰な医療処置に対して、先進諸国から奇異の目で見られていることをご存じでしょうか?ある国では、新型コロナウイルスでも、ある年齢以上の患者を老人施設から病院に移しませんでした。日本では考えられませんが、まさに考え方・文化の違いでしょう。このように極端でなくても、奥深い山の中で田畑を耕しながら、80,90になっても身体を動かし続けている。そして、本当に動けなくなったとき、長い期間を経ずに、安らかに最後の時を迎える。そんな実際の話が、テレビ番組でも流れてくるようになりました。こういう方向性にこそ社会を導くべきです。

 医療や福祉だけではありません。少子化対策でしょうか。不妊治療への莫大な税金投入が実施されようとしています。これもまた反対静来はなしです。ですが、あえて言うならば、なぜもっと若いうちに結婚して子供が授かれるような社会を作ることこそが、品来やるべきことなのではありませんか。そういう手を尽くした上で、不妊治療を必要とする人への援助には反対しません。すべてが、対処療法、後から政策なのです。これでは、社会的なコストも膨らむばかりです。

 もう一度日本社会に欠けている事前の対応策を強力に実施していく、根本的な対応策を実行することをためらわないことが重要です。

 予防的措置を無視した社会は、先の見えない暗い社会になります。

令和2年11月29日(日)

2020年12月14日|烈風飛檄のカテゴリー:basic