虐待殺人罪・同幇助罪の新設を

『もうおねがい ゆるしてください』


この悲痛な叫びが心を捉えて離さない。毎朝4時に暖房も灯りも無い部屋で起きて、この言葉を書き綴っていた幼子を思うと、心が張り裂けそうになる。

目黒の虐待死事件の公判が始まって、その凄惨な虐待内容が再び明らかになると、改めて鬼畜の所行としか言葉が思い浮かばない。
同時に、似たような凄惨な虐待死が九州で明らかとなった。雨の中に裸で外に立ちつくす幼子。寒い中Tシャツ一枚で下半身は裸という異様な姿で、コンビニの棚にあるお菓子をじっと見ている幼子。一日に1杯の汁物しか与えられず、最後は風呂で水死させられた。
4回も通報があり、内2回は警察が保護を求めたにもかかわらず、児童相談所は一時保護をしなかった。プライバシーだからと、男の存在すら確認していなかった。
ここまでくると、もはや児童相談所の言う忙しいからとか、権限が云々とか言う言い訳は通用しまい。血の全く通わない、お役所仕事そのものである。児相だけで無く、今回も市役所など多くの役所が関係していて虐待死を防げていない。こういう機関に、弱者を救済する資格があるのだろうか。


こうしてみると、何度虐待死が起きても、この社会は何も変わっていないでは無いかと、絶望感に襲われてしまう。


この問題についてはすでに色々と書いてきた。今回は裁判中という事もあるので、今一度犯人の刑罰について提言したい。

虐待をした男と母親は、保護責任者遺棄致死という罪で起訴されている。なぜ、子供を殺しておきながら殺人罪では無いのかと、多くの国民の素朴な疑問がある。
弁護士などの説明に依れば、保護責任者致死罪というのは、子供の虐待殺人だけでなく、さまざまなケースに該当するため、殺人罪のように死刑などと言う重い罪にはなっていないのだと。このしたり顔の説明には、正直反吐が出る。あまりに多くの問題がそこにあるにも関わらず、それを正す努力をしようとする姿勢が全く見られないからである。

仮に最高刑が死刑だとして、すべての犯人を同様の刑期としなくてはならない理屈など存在しない。個々の実情に応じた刑期を決めるために裁判所があるのでは無いのか。いまの日本の司法は問題だらけである。

百歩譲って、ならば、なぜこれだけ続く虐待に対する罪を新たに設けないのか。政治家、官僚そしてすべての関係者の怠慢以外の何者でもあるまい。


提言は、虐待殺人罪と同幇助罪の新設である。むろん最高刑は死刑とする。幇助罪も最高刑は死刑としておくべきであろう。

心理的に男の従属下にあった母親を、どう見るかは非常に難しい問題である。だが目黒の事件において、法廷で泣いている母親の姿があっても、男とのメール内容などを聞かされると、とても同情などできなくなる。我が子を虐待しておきながら、笑いものにしたり、児童相談所が邪魔だという発言など、とても我が子に寄り添う母親の姿にはほど遠いものだから。


この子供の虐待死を扱う文章を書くときはいつでも感情的になってしまい、なかなか冷静になれない自分がいる。だが、私はこのままの自分で良いと考えている。それが非業の死を遂げた多くの幼い命への、せめてもの供養と信じるから。

令和元年(2019)9月3日

 

2019年09月03日|烈風飛檄のカテゴリー:idea