日本のグローバル化に欠けるもの

 グローバル化が叫ばれて久しいが、経済の一部のグローバル化がすべてであるかのような、偏狭な思考が蔓延しているのは、相変わらず日本的であるといえるのだが。グローバル化が今転換期を迎えている話は別にしよう。ここでは、その「グローバル化こそ命」の神話に取りつかれながら、肝心のグローバル化ができていないことについて述べてみたい。

 経済、社会がグローバル化するのであれば、当然その流れにうまく順応していかねばならない。だが、お世辞にも日本はうまく適応できているとは言いがたいところがある。では、何が欠けているのかといえば、それは情報とコミュニケーション方法であろう。{/face_ikari/}

 情報に疎くなおかつ情報を軽視するのは、もはや日本人の専売特許と化した感すらある。

 韓国や中国との領土問題は戦後最悪の状況にあるが、ここでも情報戦で劣勢にたたされているのは間違いない。また経済でも、中国への進出を見境なく行い、2008年以降の中国の政策変更でカントリーリスクがきわめて高くなったにもかかわらず、欧米企業が進出を控えたらり投資を引き上げる中、日本だけが異常な進出、投資を続けてきた。そのあげく、いまになって反日暴動や経済制裁、赤字になっても撤退すら許されない、生命の危険にすらさらされる事態にまで立ちいたっている。(この問題はさすがに親中のNHKですら、特集で取り上げた)

 ここで問題なのは、言うまでもない情報収集をしない、それに基づく最新の判断と行動を取らないことがまずあげられる。日本国内においてすらやらないのだから、グローバル化でもやらないのは当たり前なのかもしれないが、こと海外相手の場合、その代償はあまりにも大きいという事である。


 そして、それに輪をかけるのが、日本的制度や発想を、そのままグローバル化に当てはめて考える傾向である。日本なら、赤字で会社がもたないなら、社員を解雇して会社を倒産させれば終わりである。だが、中国では、倒産をさせてもらうには、地方政府の許可がいるので、何年も許可されない。その間給与は払わねばならないし、従業員を辞めさせるには、多額の経済補償金(強制退職金)を払わなくてはならないのだ。こんなばかげた制度に引っかかるのは日本企業くらいなのだろうが、彼らはそれを承知でやっているのである。日本本国から多額の倒産資金を納入しない限り倒産すらできない法律の現状を、いったいどれほどの中国進出企業の経営者が理解しているのであろうか。知っていても甘く考えているのだろう。リスク管理の不備ではすまない問題である。

 この日本国内での発想や制度、慣習などをそのまま海外で通用させようと思う意識がすでに、グローバル化の意識とはかけ離れているのである。このことは、情報だけではなく、コミュニケーションの方法においてもまったく同じである。海外では絶対に通用しない日本的なコミュニケーション方法をそのまま使って、自己満足に陥っている日本人の何と多いことか。

 私自身の経験から、こんな話をしてみたい。中国は共産主義の独裁国家にもかかわらず進出していく日本企業が多く、一方なぜ、民主国家であるインドには進出しないのかという点である。インドのインフラがあまりにも立ち遅れており、工場などの立地に適していないとか、アメリカがインドに進出したのはITというソフトの分野であって、日本のようなハード(製造といっても良い)ではない、という理屈は無論正しい。が、それに加えて、それぞれの相手とのコミュニケーションの違いが、あったのではないだろうか。

 インドとビジネスをするときには、アメリカ流の非常にきっちりとした契約や、内容の具体的な説明が求められる。ソフト開発などでは、とりわけその特徴が強く出る。システム仕様の内容について、明確でなくてはならないのはもちろん、どうしてこういう仕様なのかまで、説明を求められたものである。そこで納得しない限り、彼らは受けないのである。それに対して、中国は、日本人のあいまいさ(いい加減さなのだが)を知っているので、仕事を請けるときには、大雑把なまま平気でうける。むろん、後で直させるにはまたさらに費用がかかるのはいうまでもない。それでも、日本人は、論理的正論を繰り出すインド人を、理屈をこねる面倒な人といやがり、いいかげんでも、言うことを受け入れる、表面的に愛想のいい中国人を相手にしてしまうのだ。

 そんな馬鹿なといわれても、これは私自身の経験なのでなんともいいようがない。そして、このような国民性の違いを正しく理解できないところに、日本のグローバル化に欠けている、もうひとつの大きな問題点が見える。


 日本人にとって、相手から言われたことに反論も反駁もしないのは、必ずしも相手の言うことを認めたものでないのは常識であろう。だが、それは海外では非常識でしかない。反論、反駁をしないのは、相手の言うことを認めた以外の何物でもないのである。したがって、後になってそれを問題にしたり、反対の行動を取ることは、海外から見れば、日本人の裏切り行為以外の何物でもないのである。だが、こんな簡単なことすら理解しないで、グローバル化を叫ぶ日本人。日本は身勝手だと、世界で孤立する要因は、日本の対応のしかたにもあるのだと知るべきである。


 親日、反日などの国ごとに異なる社会状況を認識した上で、さらに情報とコミュニケーション方法のグローバル化を進めない限り、あらゆる分野で日本の真のグローバル化はなし得ないであろう。いつまでも、3流国家としか国際社会では認知されないことになる。外交べたもまた、グローバル化ができていない、ひとつの証左に過ぎないのである。

平成24年(2012)10月5日

 

2012年10月05日|烈風飛檄のカテゴリー:idea