生命倫理の論議を活性化させる時がきている

 京都大学の研究チームが、iPS細胞から卵子を作ることに成功し、その卵子から正常なマウスが生まれたという。このニュースは、日本の科学技術の進歩を示すもので、大変うれしいニュースである。さらに続けて、慶応大学のチームが、ヒトのiPS細胞から、精子や卵子のもとになる始原生殖細胞を作ることに成功した。ここから先へ進むことは今の日本では禁止されている。その是非も含めてだが、そろそろ、もう一度生命倫理に関する論議を活発化させる時が、来ているのではないかと思った。

 生命倫理が扱う範囲は意外と広いので、全体を話し出すと焦点がぼやけるようである。ここで取り上げてほしいと思うのは、『いったい人間の生命とはいつから生命なのか』という問題である。

 先ごろ話題となった、羊水ではなく母親の血液で胎児の病気診断が出来る技術。日本でも診断が開始されることになり、ある病院ではすでに2000件以上の予約が入っているという。障害児を持つ親などからは、子どもや障害者への差別を助長するものとの批判も出ている。そしてなにより、人を選別するという優生学の悪夢がよみがえると言う人もいる。だが一方では、障害をもつ子どもの養育がどれほど大変で、家族を崩壊させかねない現実を見るべきだとの意見もある。非常に難しい問題である。

 診断の是非はさておき、ここで問題なのは、仮に障害の可能性があるとされ、その子どもを流産した場合、それは倫理的、社会的に殺害に当たるのかという重い課題である。それは突き詰めると、いったいいつから人間の生命として扱われるのかという問題でもある。

 医学的には、受精からある期間までは生命ではないとの科学者による暗黙(?)の了解があるようである。あえて、その期間は書かないでおこう。つまり、生物学的に見て、卵子と精子の合体した状態では、まだ人格的な意味合いでの人間の生命ではないという科学的知見に基ずく考え方である。

 一方、刑法で言えば、これまた不統一感がある。堕胎罪においては、着床からヒトとなる。つまり妊娠した時点で人間の生命(胎児)と認められる。が、妊娠している女性が殺害された場合、殺人罪では二人の殺害とはならない。あくまで一人の殺人である。肉親の情から見れば、やりきれないであろう。これは、一見すると堕胎罪と矛盾するようであるが、法的な整合性はとられている。
 一部露出説と呼ばれる考え方で、胎児は母親の胎内にあるうちは胎児であり、その身体の一部でも母親か露出した時点において人間になるという考え方である。妊婦を殺害しても、胎児はまだ人間ではないので、殺人にはならないというのだ。どこか矛盾を感じるのは、私だけだろうか?

 一方で民法上では、胎児にも相続などの権利を認めている。さもないと、たとえば妊娠中に父親がなくなった場合、生まれてくる子に不利益が生じるからである。いやはや複雑である。


 あえて、極端な例を引けば、体外受精のために卵子と精子を結合させて母体に入れる前に死んだばあい、なぜ堕胎罪にならないのか?無論倫理的にであるが。今後、単純な体外受精ではなく、クローン人間に等しい方法が確立されていったとき、いったい、人間とはいつから人間なのか。胎児と人間を分けているが、では胎児は人間ではないのか、多くの問題が噴出してくるであろう。

 そう簡単に結論めいたものが出る問題ではない。だからこそ今から少しずつ感情的にならず冷静かつ科学的に、でも人間の感性や感情を大事にして、議論を進めていくべきであろう。そのときが来ていると思う。

2012.10.05
これを書いた後、山中教授のノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。そこでさらに。

 iPS細胞の山中教授がノーベル賞を受賞した。おめでたい話である。だが、相変わらず、海外に劣る研究設備や研究費など問題は多いまま。しかし、彼の「感謝と責任」という会見発言は、まさに日本人の感性であると思った。また、死んでから父親にようやく話が出来るという死生観も日本人には良く会う。

 だが、現実はこれから厳しい問題が山積みである。たまた受賞前にブ ログで、iPS細胞がらみでの生命倫理に関する議論を早くはじめよと書いた。教授もまったく同じ事を発言していた。科学の進歩に社会や法律がついて行けなくなっている。くわえて、日本では、既得権者がつよすぎて、新しい事や、規制緩和の邪魔をする。

 すでに、臨床試験にまで進んでいる研究もあるが、例によって日本では許可されず、ヨーロッパに行っている例もある。しかも、欧米は、規制どころか、積極的に支援してくれる。もちろん、単なる道徳的な好意でないのは明らかだ。将来の大きなビジネスをいち早く手に入れるためである。

 いま、世界中で実用化に関わる分野での特許取得競争が激化している。いくら、iPSを作ったとしても、そこから先の技術を特許で押さえられては、なんの意味もない。教授も、これからの投資の必要性を説いていたが、既存の権益保護しか興味がない官僚と企業を打ち破るのは、政治家すなわち、それを選ぶ国民の意思である。

 浮かれてだけいないで、今こそ正念場の競争が始まっているなか、大きな投資を行おう。震災復興予算を4兆も他に流用するくらいなら、それをこういう新しいビジネス分野にこそ流すべきである。福島に、再生医療の研究とビジネスの拠点を作るくらい、なぜ出来ないのか。

 急げ。今がチャンスだ。

平成24年(2012)10月09日

 

2012年10月05日|烈風飛檄のカテゴリー:idea