津波放送を見て 国民情報放送局と防災省

 チリの大地震による津波が日本にも押し寄せた。テレビを見ると、民放キー局は基本的に枠によるテロップ方式の情報垂れ流しだけ。NHKはひたすら全国の現状を羅列するだけ。どちらも国民が真に望む情報を提供できているとはとうてい言えまい。東日本大震災や今回のチリ地震による広域の津波などの、大規模または広範囲に及ぶ災害についての報道のあり方は、すでに限界を迎えているのだろう。

 一方で、マスコミとりわけテレビ報道のワイドショー化は一向に止まらない。人心を感情的にあおり、正しい思考を停止させて、ひたすら視聴率が稼げる方向か、自分たちの主義主張・心情に沿った偏向的あるいは洗脳的な番組を繰り返す。関東北部の大雨に依る鬼怒川等の氾濫においては、自衛隊ヘリコプターによる被災者救出の妨げとなる視聴率稼ぎの報道合戦が行われた。ある局が流している場面を見て、我も我もとヘリを飛ばし、実に10機ものヘリコプターが上空に集中してしまったそうである。肝心に被災者と救助者間のコミュニケーションにまで悪影響を及ぼすほどひどいものであったという。今回の例であれば、高価な超望遠カメラがあれば、遠くからの撮影でも何も問題は無かったはずである。

 テレビ関係者に少しでもジャーナリストとしての倫理観や人間としての道徳心があるのならば、報道の自由という名の下に、自分たちの醜い欲望を満たす行為にすぎないものを反省するものはいないのだろうか。この国の劣化は、国会内だけでは無いのだ。

 といつものようにグチをこぼしたところで本題に戻ろう。これもすでに何度か取り上げているが、ご容赦を。


 国民情報放送局(NIB)の放送チャンネルの意義

 防災省からの情報(災害においては主に気象庁であろう)を元に、国民情報放送局を通して、全国民と地域住民とに分けた適切な情報を流す。全国チャンネルで、全国・全体的な情報を流しながら、同時に隣の地域チャンネルにおいて、テレビのある地域に関わる地域の詳細情報だけを流す。こうすることで、住民は自分の置かれた立場がどの辺にあり、どのように行動すれば良いのかが、よりわかりやすくなる。
 全国放送を見てもどこか他人事に感じられるし、地域の防災無線は何を言ってるかわからない上、たまにしか流されない。これでは、災害への自主的対応・自己責任を唱えたところで、話は進むまい。

 自治体から地域住民への情報を確実に届ける手段のひとつとしては、地域チャンネル放送は相当に強力なものであると信じている。さらに、自治体からは何も正式な情報が出ていなくても、地域チャンネルにおいて、現状の正しい認識を伝え、自己判断を促す情報を提供できれば、いまよりも格段に自主避難が早まるであろう。

 いまの現状を見て、さすがに自治体からの避難勧告で無く、気象庁から直接勧告出来ないのかという意見も上がってきてると言う。縄張り意識だけで無く、気象庁の人的資源からもそれは難しいであろう。だからこそ、専門知識を持ちながら、自治体とは別にきめの細かい情報提供を行える地域チャンネルが重要なのだ。たとえ、自治体や官僚機構、政治家から越権行為だと言われても、断固行うべきなのである。
 実際、いまの自治体は、その判断が間違っていても誰も責任をとらないのだから、地域チャンネルが責任をとれない自己判断の情報を流したとして非難されるには当たるまい。むろん、明らかな誤りなどは、責任者が責任をとる体制は持っておくべきだが。

 情報における地図の積極的活用

 大雨などの気象情報では、かなり地図の活用が進んできている。だが今回のような津波の関しては、旧態依然とした情報の垂れ流しだけで、視覚に訴えかけるものが無い。もう少し地域の地図と連動した情報表現がほしい。というか重要である。仮に同じ県の中であっても、それが自分の住居との関係を住民は知りたいのである。無関係な地域の情報などは除外して、地域に関わる最新かつ正確な情報を地域チャンネルでながせれば、住民が判断をする上で非常に有効であろう。全体像は全国チャンネルを見れば良いだけだし。

 一体津波が、どこに来ているのか、どこに来そうなのか、地図で見た方がわかりやすいのは当たり前。だが、いまはそのようなシステムが整備されていない。以前に地図を活用した産業の活発化などを提案したが、誰でも簡単に使えるようなベースとなる地図システムを国が開発すべきである。だからこそ情報省を新設して、その下に国土地理院などの国土の情報を持つ組織を一元的に集める意味があるのだ。
 情報というのは、こういうものも含まれるのである。そういう意識をはぐくむ教育が全く成されていないように見えるのだが。

 人材の育成と、自治体支援の司令塔

 災害時の地方自治体の対応について厳しい意見を述べることも多い。理由は、言い訳ばかり多くて責任をとらない態度に憤るからであるが、専門知識を持つ職員、的確な判断を下せる管理者が圧倒的に不足しているのも事実であろう。極端にいえば、無能な首長を選んだ住民の自業自得とも言えるのだが、それではあまりにも酷である。防災に関する高度な知識を持ちながら地域の地理的条件などを熟知した人材をどこかに作らないと、これからますます増えるであろう自然災害に備えられまい。防災省は、365日24時間体制での災害時の情報収集能力と自治体の支援体制をもつ。
 国、県、地元自治体などというばかげた縦割りを廃するためにも、強力な権限を持つ組織が必要になる。優秀な人材を育てながら、その人材が地方にも散らばっていくことで、地域の防災力も上がってこよう。

 自然災害だけでも、実に様々な種類があり、すべてに精通した専門家などあり得ないほどの状況である。だが、防災省は、自然災害だけを対象としているのでは無い。中国の化学薬品爆発では無いが、日本でもちいさな事故はよく起きている。こういうあらゆる種類の災害の専門家を育てるのは、もはや国家の重要な仕事である。これらが複合的発生しないなどとは言えないのだから。

 さらには、現在環境省が担当している外来生物駆除などの中長期的な仕事も、ある意味では災害対策のひとつといえるのかもしれない。とすれば、防災省と環境省はまとめても良いのかも。


平成27年(2015)9月18日(金)

2015年09月18日|烈風飛檄のカテゴリー:idea