国営放送局の新設

 すでに「情報省の役割」のなかで、国営放送局の運営をとりあげた。NHKのように有料とはせず、緊急時の情報伝達を無料であまねく伝えることや、国や自治体の情報の周知徹底などの、概略の役割をすでに説明した。そこに、もう少し加えておきたい。

 いま、NHKを含めた大手マスコミによる偏った放送内容や、品位のないテレビ番組による電波の無駄使いなど、マスコミに対する国民からの批判的な意見は大きくなっている。だが、既存の大手マスコミは、それを右傾化したネット上の一部の動きとして無視する態度をとり、自らを省みるような態度は残念ながら見えてこない。NHKやマスコミに対する批判は、また別に取り上げることとして、ここでは国営放送の果す役割についてである。

「マスコミ村」と新しい国営放送

 原発推進と自己利益獲得のみにまい進する関係者をまとめて、「原子力村」なる言葉が使われた。だが、この「村」、いまの日本のいたるところに存在している。「輸出企業村」「財界村」「霞ヶ関村」「労働組合村」「医者村」「薬村」「資源メジャー村」「検察村」「警察村」、もっとも醜い「政治家村」、実にきりがない。

 日本人の大半が、集団農耕型(集団依存型)気質に属するのだから、当然といえば、当然である。そんな「村」のひとつが『マスコミ村』である。ネット上では批判的に「マスゴミ」とさえ呼ばれるほどの大手マスコミの現状は、原発推進を盲目的に進める多くの人間たちと何も変わらない。

 流れのない水はよどみ、いつかは腐る。日本においては、大手新聞社系とNHKさらには民法テレビ各社が、ほとんど競争もなく、長い間メディアを独占してきた。その結果、許認可権を持つ政治家や官僚とNHK、スポンサーの企業、広告代理店、出演者を提供するもろもろの芸能関係、テレビ局などの関係者が、同じ利権の中に集まるマスコミ村を形成してしまっている。


 国営放送局の役割のひとつとして、この既存マスコミの競争者としての位置づけがある。まちがいなく、既存のマスコミとりわけテレビ局は、国営放送局に対して、国のプロパガンダを進めて報道の自由を侵すものだと、猛反対するであろう。そんな情けない姿が先に見えることこそ問題なのだが、闘いだというのなら、それはそれで、緊張関係を生み出して、お互いにより良い放送をする機会ともなるであろう。

 競争がないから、電力会社が勘違いしているとマスコミは騒ぎたてている。ならば、その言葉を自分たちにも向けてみるくらいの、ジャーナリストとしての魂はないのだろうか。

 もちろん、独裁国家や共産主義国家のように、一方的な政権によるプロパガンダの放送局としないで、自由と品位を保つことは非常に難しいことかもしれない。だが、商業主義の手垢にまみれたり、国民から勝手に視聴料を強奪することが権利だと考えるような公共放送だけでない、新しい放送局を考えても良いであろう。知恵を絞れば、歯止めなどいくらでもかけられる。それに、既存のマスコミが、こぞって反国営放送となるのであろうから、それだけでも十分な歯止めとなる。

 具体的に、既存のマスコミの偏りを例示しようかとも思ったのだが、昨今のテレビ離れをみれば、もう国民の多くは十分に理解しているのであろう。

 



 そこで、代わりに、国営放送のあり方をいくつか述べておきたい。

 最優先は、あらゆる非常事態の国民へのいち早い伝達である。これは使用されるテレビ受像機、端末ともからむのだが、この無料の国営放送を受信する端末は、様々な条件を付加したものにしておきたい。詳細は、別に述べたいが、たとえば緊急速報の自動受信機能などは必須である。

 国や地方自治体の広報活動はもちろん重要なのだが、とりわけ、新しく施行された法律の内容の説明とか、重大なリコール情報とか、国民の社会生活に直結した情報を、繰り返して伝える機能を持たせたい。

 そして、プロパガンダに陥らないために、放送枠の10%くらいを一般に開放する。そこでは、スポンサーをつけた放送を許可する。逆にいえば、そのような番組制作費は国営放送局は出さないので、番組制作者が自らスポンサーを募って番組を制作する形になる。
 もちろん、特定の思想や宗教の宣伝に偏ったり、特定企業の宣伝になるようなものは、許可しない。すべて、第三者委員会による審査を行うように歯止めをかけることが大切になる。


   特定のスポーツしかやらないテレビ、地元の情報が流れてこない緊急警報など、多くの問題が少しでも解決されるような放送局を作りたい。

 なお、ネット上では、すでに多くの放送や番組がある。既存のマスコミと対峙するものも出てきている。だが、ネットの自由さが逆にあだとなっているところもある。多すぎる情報源は、正しい選択という問題を生むうえに、放送という垂れ流し、言葉が悪ければ強制的一斉同報の持つ力は、それはそれで、今後も重要な情報源のひとつとなるからである。


 国民のために真に開かれた、社会に公正な国営放送局が存在することは、日本社会の質の高さを世界に示すことにもなる。


平成24年(2012)7月

 

2012年06月20日|烈風飛檄のカテゴリー:idea