国民番号(マイナンバー)と銀行口座

 平成24年(2012)5月に「日本国民番号」を書きました。その後、いわゆるマイナンバーが創設されて、いまは銀行口座との紐付けや、マイナンバーカードと運転免許証や健康保険証との一体化が騒がれています。なぜかくもマイナンバーカードとの統一にこだわるのかとか、セキュリテイ問題とか、様々な課題が山積みに思えます。ですが、ここでは、前回のコラムから、金融機関の口座との紐付きについて述べた部分だけを再掲することにします。

 金融機関の口座とマイナンバーの紐付けが話題になった直接の原因は、コロナ対策で全国民に配られた10万円の支援金の騒動です。外国では、非常にスムーズに支援金が国民に届いているのに、日本では相変わらずもたもたとしていました。それを口実にして、官僚と政治家がマイナンバーカードと銀行口座の結合を画策しました。ですが、国民からの反対で今回はあえなく見送りとなりました。そもそもこのようなやり方で、何が迅速かつ便利になるのか、首をかしげるばかりです。

 本当に国民の利便性を第一に考えるのであれば、国民が持つ銀行口座の登録をするのではなく、逆に、国民番号にすべて口座を持たせれば良いのです。具体的には、日銀に国民番号(マイナンバー)を口座とする口座を設ければ良いだけです。ただ、この口座の使用方法には条件を設けます。

 この日銀のマイナンバー口座は、国や地方自治体などからの入金のみの一方通行口座とします。国民は、この口座に入金はできません。一方的に引き出すだけです。
 お金を引き出すのに、いくつかの方法を用意します。ひとつは、自分の持つ金融機関の口座への振り込み、つまり自分の銀行口座を使って引き出すわけです。各金融機関は口座の紐付けをやるわけで、そこでサービス競争も生まれるでしょう。
 一方で銀行口座を持たない国民も多数存在しています。そういう人達は、地元の役所に行って個人認証がなされれば、現金で引き出すことができるようにします。こうすれば、今のような口座との紐付きの考え方の欠陥を簡単に補えます。子供などの分は、親が代わりにできるとか知恵を絞れば良いだけでしょう。

 この口座を活用すれば、国と地方の行政が大変に簡素化されて、費用も安上がりですみます。なぜなら、還付金でも支援金でも、何でもこの口座一つですむわけですから。逆に、だからこそ既得権者は猛反対するでしょう。デジタル庁などと大上段に振りかぶるなら、ここまで、いやこの位はやって欲しいですね。


令和2年12月20日(日)



以下は2012年5月のコラムからの部分抜粋です。またセキュリテイなど取り上げていた他の項目は、別途コラムを書くつもりです

国民口座

 国民番号と連動した仕組みで考えられるのが、国民口座である。簡単に言えば、銀行口座と同じようなもので有る。国民番号には必ず口座が作られ、それを国民は利用することが出来る。

 具体的には、この国民口座は残高数字だけの実態のない口座である。実口座としてお金が動くのは、日銀に設ける国民口座だけである。これは、国家が一般の銀行をやらないと言うことでもあり、またこの口座の使用方法が特殊だと言うことでもある。
 国や地方自治体など公共機関からの入金と本人による引き出しだけが許される口座で、個人が勝手に振り込んだり振りかえたりはできない。引き出しは、金融機関の口座経由または直接現金引き出しとなる。



 いくつかの例を考えてみよう。

 大きな災害時には、多額の寄付金が、多くの人の善意として寄せられる。東日本大震災では、3000億というとてつもないお金が集まったが、その配分などで非常に大きな混乱が起きて、なかなか被災者の手元に届かないというばかげた事が起きてしまった。

 もし、国民口座が有れば、該当する被災地の人の口座にとりあえず一律特定の金額を入れると言うようなことが、プログラム1本で出来てしまう。つまり、震災から1週間以内に口座への入金が可能になるのだ。しかも、被災者からの申請も必要ない。流された銀行の通帳も必要としない。国なり、赤十字などのような支援団体は、日銀の国民口座に総額で入金すれば済む。時々問題になる、募金団体の流用や横領、さらには赤十字などの事務管理にかかるコストが高すぎるなどの問題も相当に軽減される。

 では、問題はなにかといえば、国民口座のお金をどうやって国民が引き出すかと言うことである。この場合なら、被災者は取引先の金融機関に行って、自分の国民口座から、取引先の金融機関口座への振替を申請すればよい。これで、いつでも現金を引き出すことが出来る。この場合、本人認証は金融機関が行っているわけであるから、特別な事は何も必要ない。金融機関が口座開設時に確認した国民口座番号を利用すればよいのだから、被災者が国民番号を分からなくても問題はない。
 もし、金融機関の口座がないとか、被災で通帳等もないときにはどうするのか。特定金融機関には、国民口座からの現金払い出し業務を許可しておけばよいのである。被災者は、その窓口に行って、国民番号と個人生体認証によって現金を直接引き出すことが出来る。この場合には、金融機関が少額の手数料を取っても良いであろう。ここで、すでに述べた個人認証の登録が生きてくる。もし、個人認証を登録していない場合には、住民票などによる国民番号の個人確認が別途必要になるのはやむを得ないだろう。

 東日本大震災のように地元自治体の機能が停止してしまっても、この国民口座の仕組みがあれば、影響をほとんど受けることがなく、被災者の救済が速やかに行えることになる。


 こういう仕組みがあれば、国民は自分の国民口座の金をいつでもどこでも、必要なとき下ろすことが出来るようになる。そして、この仕組みなら、既存の民間の金融機関の業務を横取りするどころか、むしろ様々なサービスの仲介によって新しいビジネスを生むことも可能になる。国民口座は、残高数字の更新だけで済ますところがミソである。金融機関と日銀とは、何ヶ月かに1度程度まとめてお金を移動(決済処理)すればそれで済む。



 この仕組みを活用した他の例を見てみよう。

 離婚が当たり前のように成ってしまった今の日本。その事をどうするかはさておき、子供の養育費を別れた父親が母子に支払わない例も多いようである。特に父親の暴力が原因で別れたような場合、母子はその居場所を知られたくない為に養育費を受け取れないこともある。そこで、この国民口座の仕組みが生きてくる。

 離婚の際に養育費を公的機関で認めてもらう。母子は、自分が住む自治体に、養育費を父親の国民口座からもらうことを申請しておく。そうなれば、父親の勤める会社では、給料からその額を天引きして、父親の国民口座に送金する。母子の自治体では、月に1度くらいまとめて、父親の国民口座から母子の国民口座へ振りかえ処理を行う。これで、母子はいつでも自分の国民口座から養育費を受け取ることが出来るようになる。このシステムの味噌は、別れた父親やその会社に母子側のいかなる情報も伝わらないという点にある。

 父親が会社にそのような天引きの届けをしないことも多いであろうし、実際自営業などではこのやり方は通用しない。その為には、母子側の自治体が、父親側の自治体に養育費徴収を依頼すればよい。父親側の自治体は、住民税に上乗せして養育費を徴収し、養育費分を父親の国民口座に送金する。これだけで、後は同じ。余分な情報をどこにも公開せず、なおかつ充実した国民サービスが提供される。これからの国や自治体などの公共福祉のあり方とは、こういう方向性の物ではないだろうか。コンクリートの建物を作るサービスも必要だろうが、このようなソフトのサービスが今後はよりいっそう重要になっていく。

 そして、このようなサービスが色々と考えられれば、民間の金融機関の役割もひろがり、日本の金融機関が不得手な金融経済も、少しはマシになろう(かな)。

 頭を使い、何よりITの有効活用を図れば、国内の経済活動にも貢献する国民サービスはいくらでもある。ようはやる気と知力である。



 所得税など各種還付の度に、振込先金融機関口座を指定しなくてはならない。これは、申請側も、送信側も非常にコストのかかる面倒な処理である。間違いも起きやすい。それが、全て国民口座に送るだけで済めば、どれだけ効率が良くなるか。金融機関は手数料が入らなくなると反対するかもしれないが、国民口座からの振替手数料も考えられるし、なにより顧客との強い結びつき(企業の好きな言葉で言えば『囲い込み』)が出来るようになる。
 年金などもここに振り込めば、国の仕事は削減される。代わりに民間がその仕事を行う事になるので、サービスの競争も生まれるかもしれない。



 すでに述べた特定の金融機関等での国民口座からの直接引き出しは、たとえば、生活保護費の手渡しにも利用できる。受け取り金融機関口座をもたない生活保護者の人には、自治体が現金を直接手渡ししている。こんな面倒な処理はいらなくなる。自治体の仕事の効率はよくなり、ミスも減る。また、暴力団が待ち構えていて横取りするような事もやりづらくなり犯罪防止、治安にも貢献する。

 なお、国民口座から民間の金融機関口座への振り替えは、そのたびに個人認証を行うのは煩雑であろうから、月に1回を限度として自動的に振り替えを行うようなサービスは考えて良いであろう。
 このような振り替えや、個人認証による現金直接引き出しなどでは、当該金融機関の責任を重くしておく必要がある。もし、万一にも、不正引き出しや振り替えが行われた場合には、その金融機関が全額弁償する規制が必要になる。そうでないと、今の金融機関口座の悪用と同じように、不正が発生しかねない。また、ここでミスや不正が起きるようなら、そのような金融機関は市場の信任を失い淘汰されて行くであろう。


平成24年(2012)5月 2012/12/20

2020年12月20日|烈風飛檄のカテゴリー:idea