教科書とデジタル教科書


 教育のデジタル化は、これからの社会において国の将来を決めるほどに重要名事柄ですが、同時に開発を必要とする非常に大変なシステム構築でもあります。この基本設計すらよくわからずに、部分的に既得権者や新しい利権者たちが、勝手なハードやアプリを使用し始めていることには、憤りとともに将来への不安を感じます。このままだと、今問題となっている地方自治体ごとにバラバラの機械化された行政システムと同じ事になる気がするからです。それは、さておき、ここでは教科書の話です。

 年々教科の内容が増えてきて、教科書も厚く重たくなっています。それが低学年の児童への負担にすらなっているのですから、問題でしょう。しかし、その本質は、教科書の厚さや重さにあるのではありません。
 いうまでもなく、問題は教科書の内容、つまり教育の中身です。やれ英語だ、プログラミングだとやたらに新しいことを次々と押しつけるだけの教育のあり方が、そもそも間違っているのです。

 教科書の話に絞りましょう。
 6.3.3制の現在の学制のありかたから、年制に変えねばならないことは述べてきました。中学卒業ではなく、9学年終了という考え方です。そして、授業内容も、進級に必要な最低限度の知識や考え方と少し進んで応用編とに分けられるのです。教科書もこれに対応させます。

 学年を終了するのに最低限必要な範囲を教科書とします。そうすればかなり分量は絞られます。それ以上の応用はいわゆる参考書として別にします。現在の参考書やドリルは民間任せで内容もバラバラですが、ここにも最低限の必須内容などを決めておくべきでしょう。わかりやすく言ってしまえば、現在の分厚い教科書の2分冊化です。

 その学年にとって最低限必要な知識だけ身につければ、進級ができるのです。仮に3学期制でやるなら、2学期までに教科書を終わらせてしまう事になります。3学期は、応用編に入るのですから、ゆとり学習に戻るわけでもありません。できてもできなくても進級させたり、授業について行けない子供を産むのも、教育システムの考え方が良くないからなのです。


 さて、次にデジタル教科書の話です。これもオンライン授業、遠隔授業などとからむので、何を持ってデジタル教科書の範囲とするのか難しいものがあります。ですが、紙の教科書と同じ考え方をとるべきです。

 まず、生徒一人一人が持つタブレット端末には、紙の教科書の内容がそのまますべて、データとして保持されます。いわゆるオフラインで使えるわけです。もちろん、紙の教科書の文章をそのまま格納すれば良いという意味ではなく、あくまでも同じ内容のものだと言うことです。
 問題は、応用編とした教科書的参考書の部分です。これもできる限りオフライン使用できるようにすべきですが、デジタル化の良さを最大限引き出すには、サーバ(クラウド)との協調が必要になるでしょう。従って、学校において使用している時には、常時ネット接続されていますので、何の問題もありません。ですが家庭や学校外でタブレットによる勉強をしたいときには、オフラインでどこまでやれるかが課題となります。

 家庭環境によっては、家庭でタブレットの通信環境を整えられない事も考えられます。費用もかかるでしょう。この課題は、この小さな部分だけで考える問題ではありません。子供たちは、いつでも24時間学校で勉強ができるようにすべきなのです。塾に行く代わりに、学校で授業が終わってから補習や自習ができるのが当たり前の環境であるべきです。

 また、タブレットを学校外で使用する才のネットワーク環境については、より大きな課題があります。教育用ネットワークはそれ自体が独立した閉じられたネットワークであるべきです。したがって、それへのアクセスはセキュリテイ上からも、そうとうに防御されたものです。ここまでいくと、これまた教科書を越える話題です。

 これからは遠隔授業やオンライン授業など、ネットワークを活用した授業も増えていくことでしょう。そのときの教科書というか使用する資料の配付など、これまでにはなかったデジタル教科書・参考書の課題もあるのです。


 このように教育のデジタル化は、けっして生やさしいものではないのです。というか、それでも作らなければ、真に子供たちに役立つものにはなりません。そして、それは日本の将来の姿とも関係してくるのです。

令和2年12月23日(水)

 

2020年12月23日|烈風飛檄のカテゴリー:edu