個別補習授業

 学年の学習内容を基礎編と応用編の二つに分けて考えると述べました。このことや飛び級と密接に関係するのが、新しい補習授業の考え方です。これまで補習と言えば、足らない部分を補うのが目的と捉えられてきました。コロナ禍でも、休校により授業日数が不足して夏休みに補習を行ったなどです。しかしここで提案する補習は、不足を補うことも含まれますが、より積極的な意味合いも含まれています。


 そもそも理解不足の生徒を放課後に残して、いわば強制的に行う補習とことなり、新しい補習は生徒の自主性に基づくものです。たとえば、授業を受けてみて、どうも今ひとつ理解できない部分があったのでもう少し詳しく聞きたい時などに、生徒が補習を申し込みます。やり方もすこぶるシステム的で簡単です。授業が終わったところで、自分のタブレットで補習希望のボタンを押すだけです。その日の授業が終わった頃には、補習の時刻と教室がタブレットに表示されます。こうして、その日の授業内容はその日のうちに、完全に理解してしまうわけです。

 もう一つの補習が、先行授業に関わるものです。授業内容は理解できたが、もう少し深く学びたい、応用を学びたいなどの生徒が受ける補習です。この補習は、飛び級や授業日の調整などにも使われます。たとえば、基礎編の授業の期間、応用編にまで進みたい生徒はここで応用編の内容まで学習できるわけです。
 その結果、何が起きるでしょうか。そうです。飛び級が出来るようになったり、あるいは授業の日時を詰めたりすることが出来るようになります。
 例えば、2学期までに一年分すべてを終了して試験にも合格すれば、3学期の期間は自由に使えるわけです。将棋の学生棋士やスポーツマンが、日程のやりくりする野にもつかえるわけです。あるいは、農家で繁忙期だけ手伝う期間を捻出する、などにも利用できるわけです。


 これもまた、生徒中心の教育システムの具体化です。学校が決めた日程にクラス全員を従わせるなどと言うのは、すでに時代遅れです。少し脇道にそれますが、これに絡んで少人数学級の話があります。できるだけクラスの人数を少なくすることが望ましいと盛んに言われています。究極は一対一だとさえ。ですが、根本をはき違えていないでしょうか?どんなに少人数であろうとも、教師の側からの一方的な授業など、さして学習効果はありません。クラスでの全体学習と、個人学習の組み合わせで初めて、学習効果も上がるものと考えます。

 極端な例を挙げれば、非常に教え方の上手な教師がいたなら、その授業をオンラインで全国の学校で学ぶ事もあるわけです。このときにクラス人数など意味がありません。実際、かなり専門的な内容を旨く伝えたいときに、ビデオなどを活用した授業をやりたいと考えても、すべての教師がそれを準備できるわけではありません。むしろ、優れたビデオ教材を共通に使う方がより学習効果があがるでしょう。



 学校が新しい補習を行っていくためには、いくつかの条件が必要になります。教室などの場所もさることながら、補習を担当する教師を用意することが課題になります。いま教師が非常に忙しくて、なかなか授業の準備すら出来ないと言われています。そんな馬鹿げた事で時間をつぶせるのなら、週に何回かの補習くらい問題無く出来るでしょう。ほかにも、教員免許を持つ人にパートやアルバイトをしてもらうこともあるでしょう。さらには、大学生などにボランティアを頼む方法もあるでしょう。飛び級で進みすぎたクラスメートが、友達に教えてくれるかもしれません。露骨なことを言えば、学校での補習が充実したならば、塾などは不要になるでしょう。とすれば塾の先生たちはこの補習専門教師になっても良いわけです。


 これらの人員配置や時間割、教室手配などを迅速に行うには、システム化されていなくては人手では無理です。個々でも学校のデジタル化が総合システムでなくてはならないことがわかります。
 また、教える人材のやりくりなどを考えたとき、教師が特定の学校に堅く紐付けられた今の仕組みでは無理があります。教師を、基本すべて教師専門の民間会社の派遣教師として扱う事が必要になってきます。つまり教師の新しいあり方です。これはまた別にのべましょう。
 補習を多くの生徒が受けるようになれば、当然、生徒の下校時間も個々に異なってきます。義務教育の間は、この下校にもシステムが活用されます。国民情報局の受信機(TV)には、3番目に家庭チャンネルがあります。子供が、GPS発信器をもっていれば、学校を出たときに、家庭に通知することも簡単にできます。小さな子供にはそれとわからないように、ぬいぐるみの中に入れてもたせるなどすれば、子供の負担もありません。親は子供の居場所をいつでも把握できるようになります。これもまた真のデジタル化の恩恵でしょう。

 すべての事がつながっているのです。縦割り行政や省庁の縄張りなど、まさに百害あって一利なしなのです。


令和3年1月12日(火)

2021年01月12日|烈風飛檄のカテゴリー:edu