On草子:秋山鷹志H

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On草子は、文芸その他、日々感じたことをとりとめなく綴った
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平成27年(2015年)2月分

2015年2月27日(金)

少年ほどたちが悪いと知れば「死刑」も認めるはず

 川崎の中一男子殺害事件の残酷さ、非人間的な内容には、ただただあきれるばかりである。おまけに逮捕されても必ず否認するのは、こういう、たちの悪い犯罪者に多い。

 少年法で守られているという情報ばかりが広まって、たちの悪い非行や犯罪を起こす未成年者たちを、さらに増長させる結果となっている。少年少女であるがゆえに、なおさら全体的な均衡のとれた思考をすることが出来ないのであり、そのことが特定の部分にだけ悪知恵を働かせるようなことにつながるのである。今回の事件でいえば、ISをまねたような残忍な殺害方法、殺害後の数々の証拠隠滅行為(裸にする、殺害場所から死体を動かす、携帯を持ち去る、携帯での捜査かく乱、衣服を燃やす、口裏をあわせる、犯行を否認する等)など、大人の犯罪者顔負けである。特定の方向への思考は大人以上なのである。
 このことを理解していれば、少年少女が精神や思考全体の均衡という意味で未成熟であるがゆえに許されるべきという理論は、理論として破綻していることがわかるであろう。

 少年法を改正して、刑罰内容は大人と同じものにしたうえで、適用において未成年であること等を考慮する方法に変えるべきであろう。もう一つが、更生か刑罰かという二者択一の考え方をやめて、両者を合わせたものにすべきである。サイコパスのように、医療的な対応が必要な場合、どちらか一方では不十分である。医療的な対応なしで社会に出してしまうことは、さらなる犯罪を呼ぶことになっているし、逆に、医療的な問題があるのに刑務所に入れても、なにも治らないし反省することもないだろう。一見残酷なようだが、いわば、まともに罪を意識できるようになってから、短くても刑務所に服役させるべきなのである。

 もうそろそろ、あらゆるところに見られる、単純な二者択一や人道主義を振りかざすだけの短絡思考から、抜けだすべき時なのである。

2015年2月27日(金)

ノバルティス 甘すぎる処分はなぜなのか?

 ノバルティスファーマの副作用の隠ぺい、「報告をしなかった」という報道にはどうも納得がいかない。それはさておき、ようやく処分が出た。なんという遅さ、なんというだらしなさ。変わらない霞が関の体質なのだろうか。腹が立って仕方がない。国会でも、どうしてこういう事柄についてこそ質問しないのか。政治家もグルなのか?

 14年以上も副作用について、報告をしないで隠ぺいしていた。何千人もの被害が出ている。それなのに下された処分が、たった15日の業務停止。いったいこれのどこが処分なのだろうか。製薬会社の企業にとって、一体どれほどの痛手なのだろうか。日銭を稼ぐ小売業ならいざ知らず、まとめればよいだけで痛くもかゆくもない。甘すぎるだろう。罰金もなしとは、あきれるばかり。

 日本の様々な罰金や処分は、あまりにも甘すぎる。企業に甘いだけでなく、特に外資には異常と思えるほど甘い。いったい、どんな裏があるのだろうか。逆に、日本企業はアメリカをはじめとして世界中で、高額な罰金を課されている。ま、悪いことしたのなら仕方がないが、同じ程度の罰則・罰金が、なぜ日本で課されないのか。

 グローバル化というなら、まずこういう点(違いすぎる罰則や適応の甘さ)こそ改めるべきであろう。そうでないから、日本特殊論がどこかで正当化されて、日本たたきなどという馬鹿げたことが、経済だけでなくいろいろと起きるのだろう。これを放置していると、いずれとんでもないことになりかねない。政治的には、すでに反日という大問題が生まれてしまったが。リベラルを名乗るマスコミだけの問題ではないのだ。

2015年2月08日(日)

また 雪だ!

  天気予報では、午前中雨で昼には止むという予想だったのだが、午前中いくら待っても雨が降らなかった。そのくせ、やけに寒いなと思っていたら、今(午後1時過ぎ)外は雪である。それもぱらつくのではなく、本格的に雪が降っている。続いたら確実に積もるだろうな。またまた、都心との違いなのか知れないが、どうも予報とズレがある。
 こうたびたび雪に降られては、短歌を詠む暇もない。いや、単に創作能力がないだけか!

 あ〜あ、やっぱり昨日買い物に行っておけばよかったな〜。雪の中、ネットスーパーの注文も気が引けるしな。

2015年2月05日(木)

都落ちで思う詳細地域放送(国民放送)の重要性

 今日は、朝から雪が深々と降り続いている。ところが、民放テレビ番組の多くは東京中心なので、天気予報通りではなく、昼になってもまだ雨で雪になっていないと放送している。このギャップは、やはり東京を離れて初めてわかることである。しかも、ここ埼玉南部は、池袋から35分の近いところである。それでも温度は2度くらい違うとか。夏は熱く、冬は寒いのだ。

 で、何が言いたいかと言えば、これまでも提案してきた国営(国民)放送の特徴として、全国チャンネルと地域チャンネルの二つがあると述べてきた。この考え方が「やっぱり正しいよな」と自慢したいのだ!
 冗談はさておき、TV放送も決めの細かさを追求するときが来ていると思う。ネットは、いわば個々の人間を相手にしたものになっている。むろんそれは、受ける側が選択しているからなのだが、送り手側のよりきめの細かい送信が必要になるだろう。特に災害に関わるような情報は、全国の状況よりも自分のいる場所の情報がより重要なのである。今の日本の放送は、NHKも含めて、そのようにはなっていない。現在までの放送の送り手側の傲慢と怠慢が垣間見える。なにせ、『いやなら見るな』とたかが出演者が言い放つ状況なのだから。電波は国民のものである!

 情報省、防災省傘下の国営国民放送局を実現するには、衛星とか精密GPSと連動するシステムなど技術的に新しいものも必要かもしれない。それは日本の技術力向上にも、間違いなく貢献するだろう。

2015年2月04日(水)

後藤健二さんは「英雄」でも「愚か者」でもないだろう

 報道や言論の自由のありがたみは十分に理解しているのだが、あまりにも馬鹿げた的外れな論議や話があふれていて、かえって何が問題なのか、何を考えるべきなのかがわからなくなっていないだろうか。ネットの普及は、細切れ、感情的、扇動的な断片の話ばかりをあふれさせることにもつながっている。そろそろテレビやネットのメディアも、断片的な情報、偏っただけの断定的な物言い、深刻な事件をタレントのゴシップと同様に扱うことなどをやめるべき時であろう。

 ISIL(イスラム国)による日本人人質殺害事件(要は対日テロ)の犠牲者である後藤さんについての報道でも、何かピントがずれている気がしてならない。彼のジャーナリストとしての使命感やその功績をたたえることは構わないのだが、それがこの殺害そのものとどうかかわるのか、「英雄」扱いだけを垂れ流す報道(報道ではなく単なる番組としか思えないが)には、首をかしげてしまう。一方で「自己責任論」を振りかざして、単純な政府・与党擁護論を口にすることにも、疑問を感じる。特に、政治に関わるもののなすべき発言ではあるまい。

 彼の『今回の行動』に対する賞賛も非難も、もうやめるべきであろう。なぜなら、3回の説得をはねのけて、自ら行動を起こしたのである。ビデオにもあったように、自らの責任において覚悟をもって判断を下したのである。それを何人も非難は出来まい。むろん、もうひとりの犠牲者、湯川さんの父親が言うように、「(多方面に)多大な迷惑をかけた」事があったとしても、いつまでもそれを責めないのが、日本人だったはずでもある。あるいは徒に彼を美化して、特定の思想や主義主張と結びつけることは、彼を冒涜することにもなるだろう。サムライがなした行動は、そのままあるがままのこととしてだけ受け止めたい。


 それよりも検証されなくてはならない事柄のひとつは、彼がなぜあのような最悪の事態に陥ってしまったのかという理由である。初めから死ぬことを想定して突っ込んだ戦国時代の武士や玉砕の突撃ならいざ知らず、彼に相当の覚悟があったとはいえ、決して死にに行ったわけではあるまい。少なくとも無事生還が出来る可能性を信じて、乗り込んだはずである。それがなぜ最悪の結果となったのか。一部に言われているように、ISILの周到な策略に乗せられて敵のガイドに騙されたのか、何かの手違いで偶然ISILにつかまったのか、ほかの理由があるのか。この点こそ、今後同様のことが起きないように防衛をする上でも、最も重要な点である。ここがわからなければ、有効な対策も打ちようがない。政府の調査で、この点がどこまで解明されるのか、あまり期待できないところが歯がゆい。それでも、今後の検証を待ちたいと思う。

2015年2月02日(月)

過激派はなぜイスラム教に多いのだろうか?

 「イスラム過激派」とイスラム教徒は、別のものだという事がよく言われる。言わんとすることは当然であり、よくわかる。それでもなお消えない疑問がある。たしかにイスラム教は、世界宗教の中でも強大な宗教であり、信徒数も多い。跳ね返りの過激分子が多いのも不思議ではないのかもしれない。しかし世界中には、数多くの宗教があり土着信仰もある。そんな中でイスラム教徒からイスラム教を名乗りながらの過激な集団が誕生する確率の高さは、他の宗教のそれよりも高いのではないかと思える。乱暴にいえば、過激派はなぜイスラム教なのかということである。違うというのであれば、その数値化されたものを知りたいのだが。

 貧困や抑圧などの弱者に寄り添うイスラム教だから、イスラム発祥の地域の歴史的な背景があるから、中東という地政学的な影響が大きい地域だから、イスラム教の教えの中に排他的に解釈できる教えがあるから、西欧文明がユダヤ・キリスト教世界だから等々、一応の理屈らしきものは理解できる。それでもなお、十分に納得のいく説明を私は知らない。むろん、たったひとつの理由を挙げろというのではない、複雑に絡み合った様々の理由があるのだろう。それならそれで、複合的な理由を納得できる形で知りたいのだ。

 実際、今回の日本人人質殺害において、反ISIL(イスラム国)の欧米からは、非難声明が出されても、イスラム教を信奉する国々からは、批難はおろか日本に同情する声明すらも聞こえてこない。唯一ヨルダンは、国王が日本への同情を発したようだが。この事実もまた、実は先ほどの疑問と関係しているのではないだろうか。日本はアジアの一員でありながら、反日国は別としても、親日であるはずのアジアのイスラム教の国々からも、何も聞こえて来ないのは、単にテレビなどが報道しないだけなのか、それとも、何かわだかまるものがそれぞれの国にはあるのだろうか。
 さらに言えば、アジア諸国の声が聞こえないのは、イスラム教を離れても、アジアの国々の日本に対する真のスタンスが表明されているのかもしれない。

 こういう素朴な疑問に答えてくれる専門家がいないのは寂しい限りであるし、あるいは、日本の現状や出来事への理解力不足を示しているのだと考えると恐ろしくなる。こういう深い洞察なくして、複雑な今の世界政治や外交に対処することは困難であろう。私の眼にとまっていないだけかもしれないが。


秋山鷹志