平成27年11月9日(月)
ようやくNHKが縄文を認めだした
縄文時代を取り上げるというので、昨日のNHKスペシャル「アジアの巨大遺跡−縄文」を見た。内容的には目新しいものは無かったが、NHKがまともに縄文時代を評価する番組を作ったのを見て、感慨深かった。と言っても、多くの人には何のことかわからないかも知れない。少し解説を加えてみよう。
戦後アメリカによる占領政策の一環として日本の歴史を矮小化する教育などが行われ、それが長らく戦後の歴史教育や歴史観にも影響を与えていた。その中でも典型的なのが日本人のルーツに関わる歴史観だった。
一言で言えば、日本人は弥生時代に大陸や朝鮮半島から来た人々にルーツがあり、日本文化はそこから始まったのだという歴史観である。それまでの野蛮で遅れていた縄文人を駆使し、すすんだ農耕技術によりいまの日本の基礎が作られたとする考え方である。
この歴史観・考え方は歴史学者を始め、文化人、知識人、ジャーナリストなどのメディアにおいても、一斉を風靡していた。歴史に詳しいとみられた司馬遼太郎ですら、これに染まりきっていた。とうとう、騎馬民族征服説なる珍妙な説まで、まことしやかに研究成果として取り上げられるようになってしまった。元寇からの想像なのだろう、日本人のルーツは大陸の騎馬民族が日本に来て征服したものとの説である。
これらはいわば縄文時代をばかにしたり無視して、後に日本人を辱める自虐史観と呼ばれた考え方にもつながっていった。
この考え方に対して、考古学の立場からは多くの疑問や反対がだされたのだが、NHKをはじめとするメディアはこれを無視した。
歴史好きな私の本棚には、いまもその証拠とも言える多くの本が、ほこりにまみれて置かれている。
荒唐無稽な外来崇拝の日本人・日本文化ルーツ論が、誤りだとして認められるようになったのには、考古学研究者の地道な努力の他、遺伝子に関わる科学技術の進歩が大きい。いまでは、日本人のルーツは縄文人であり、遺伝子的にも弥生の渡来人が日本原住民を征服したのでは無いことがわかっている。そして、さらに一般の人々にとって決定的だったのが、青森県三内丸山遺跡の発見である。弥生史観が下火になるだけでなく、消えてしまったのは、考古学者がそれまで推論していた事が遺跡の形で、それも想像だにしないほどすばらしい規模で発見されたことと無縁ではない。
こうした過去の経緯を知っているので、さんざん弥生史観をあおったNHKのいわば変節に興味があったのだ。ブログに書こうとしてメモだけ残したものがある。偶然見た2015年5月29日NHK朝の番組で、DNAを取り上げて、日本人のルーツは縄文人だと放送していた。昔の説などどこ吹く風で、全く違う説を放送しているメディアのあり方には、あきれた覚えがある。そして今回の番組。ようやくまともに縄文時代を、そして我々日本人のルーツや日本文化の誕生について論じるようになった証である。
これらについて、「日本人の気質」でかなり詳細に取り上げている。興味があれば読んでいただきたいのだが。自分の考え方が間違っていなかったという誇らしさがなせる宣伝とお許しいただこう。
日本人の気質
第二章 日本文化の成立
新しい縄文時代像
日本人の成立
日本文化の成立
弥生時代が日本人をゆがめた(文明の過剰受容の嚆矢)
さてせっかくなので、番組にも出てきた縄文に関わるいくつかの重要な点について取り上げておこう。
縄文時代とは
5月の番組では、縄文時代の始まりを「1万年前から」と古い教科書通りに説明していた。
そのくせ、なかの専門家の話では1万数千年前からと言わせていたが。今回は正直に、1万5
千年前からと説明している。この時期は、気候などとも絡む重要な時期である。日本人の文化
は、ここから続いていることを知って欲しい。
縄文時代が、西洋的な文明進化論には属さない特異な文化(文明)であること。
人類は、狩猟採集から農耕へと進歩していったというのがこれまでの考え方。これが縄文時代
が遅れた時代とするいわば根拠だった。だが、欧米の学者からも、それが誤りであると指摘さ
れるようになった。遅れた文明だったのでは無く、全く異なる道を歩んでいたのである。
狩猟採集の独自文化を成立させたもの
−恵まれた自然環境:落葉広葉樹の広がり、暖流による四季の成立、海と山の両方の食料
豊富な種類の多い食料生活を送っていた。ここからも日本人の主食が米では無いことが
わかる。
(
常識の毒 「日本人の主食は米ではない」を書いたかいがある。)
−縄文土器の発明と活用:発見されている世界で最も古い土器は1万5千年前の縄文土器で、
それ以前から作られていた。土器で煮炊きをする技術を生み出したことが、食糧事情を
劇的に変化させた。
−単純な狩猟採集では無く、くりや漆など必要な木を自ら育てていた。自然と共存しながら
も、一方的に依存するだけでは無かった。
移動する狩猟採集民では無く、狩猟採集を中心としながら定住型の文明であった。
1500年も続く住居遺跡も発見されている。
計画性と高度な技術を持っていた。
村落にある広い整備された道。300人も入れる大きな集会場(?)建物。15mを越える
高い巨大な建物。何十年にも渡る難しい漆の木の植林・栽培。世界に例のない多彩な縄文土器
と土偶等。
土偶に象徴される高い精神性があった。
支配者がいないにもかかわらず、大きな村落や国(?)としてのまとまりがあった。その精神
的なまとまりを成すのに、土偶が使われたのかも知れない?
何より重要なのは、農耕文化つまり弥生文化の受容を、縄文人は意識的に拒否していたこと
がある。イネも縄文時代にはすでに縄文人に知られていた。だが、敢えて受け入れなかった。
それが受け入れ始めたのはなぜか、これからの研究課題である。
きりが無いので、このあたりにしておきたい。
ようやくNHKもまともになってきたと思うのだが、それでも未だにおかしな所が番組には見られた。外来(西洋)崇拝である。縄文土器を初めて科学的に分析したイギリスとか、やたら欧米人を出演させて語らせている。自国の文化を外人に語らせることで、はくが付くとでも思っているのだろうか?日本人学者にも失礼である。
あるいは縄文文化が北海道から沖縄にまで広がっていた事を伝えないのは、沖縄を本土と別だとしたいNHKの考え方と一致しないからなのだろうか。
それでも、最後に縄文が1万年以上の長きにわたって、持続可能な社会を作り上げていたのは、自然を破壊する文明では無く、自然と共存する文明を築きあげたからであり、それこそがこれからの人類の方向性を指し示しているという指摘には、賛成である。それをもう少し現実の世界情勢と絡めているのが、書きかけの
「文化と文明」なのだが。
驕る事も無く、卑下することも無く、自国の文化に誇りを持って生きていく日本人が、一人でも多く生まれることを願っている私は、毛深い縄文人の子孫である。