調 和
前述の「あるがままに」と「とらわれない」という二つの概念は、明らかにあるところで矛盾を生じさせる対立的な概念でもあります。となれば、重要なのは、この相反する方向性を持つ二つのものをどうやって調和させるかと言うことでしょう。ここには、いかなる算式も、高度な方程式も存在せず、常識や生まれながらに感じるさまざまな感覚の尺度だけが、調和を保つ事を可能にします。それゆえに、感性に基づく規範とか常識とかとも呼べる概念が重要になってきます。
あるがままに受け入れるとは言え、愛する気持ちも過ぎれば精神の病を引き起こします。食べ過ぎればメタボになって、病気の原因とも成ります。知性が行きすぎれば傲慢になり、豊かさを求めすぎればやがて金の亡者となります。欲望などのあるがままを成長や進歩のアクセルだとするならば、とらわれない、こだわらない方はブレーキとも言えます。
究極の自由
あるがままに、さりとてこだわること無く生きていく。それでも、神ノ道を踏み外さないためには何が必要なのでしょうか。なにが、自然の理の中で自由に生きても道を踏み外さないのでしょうか。知性宗教では、それを神との契約とか、神の導き・指導などと言います。すでに述べたように、神ノ道の神は、そのような直接的な行為はしません。なぜなら、調和という有り様を、はじめからすべてのモノに与えているからです。
道を踏み外さない「調和」とは、倫理観、道徳心、正義などと小さな言葉で言い換えても構いませんが、本質はもっと大きなものでしょう。無常性、あるがままに、こだわらない、これらはあらかじめ神が自然の理としてすべてに与えた特性です。調和もまた、そのようにはじめから与えられた特性なのです。それらのさまざまな特性を、自由に使う権利もまた神は人間に与えているのです。
戒律や教義など具体的な制限は、一見厳しいようですが実は簡単な事です。なぜなら、それを実践すれば良いとわかっているからです。それだけでよいのです。ですが、すべての自由を与えられながら、すべて自らの判断によらねばならないとしたら、これほど厳しい事はないでしょう。しかも、その結果もまた自ら受け入れなければ成らないのですから。
神がなぜかくも厳しい自由を人間に与えているのか。それはカミが自由だからでしょう。カミが創造したモノはすべてカミの分身でもあるわけですから。
孤高武士型気質の特長のひとつは、その厳しい自律心(自らを律する事が出来る強い心)であると日本人の気質で述べました。その根底には、この「調和」があるからです。
聖徳太子の「和」
聖徳太子が、「和をもって貴しと成す」と述べたことは有名です。
原文は、『一曰。以和為貴。無忤為宗。〜』ですが、読み下しや解釈には種々のものがあります。ネットで拾ってみます。
一に曰(いわ)く。和(やわらか)なるを以て貴(とうと)しと為し、忤(さから)ふ無きを宗(むね)と為せ。
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ
一にいわく。わをもってとうとしとす。さからうことなきをむねとす。
一(ひとつ)に曰(い)はく、和(やわらか)なるを以(もち)て貴(とうと)しとし、忤(さから)ふること無(な)きを宗(むね)とせよ。
条文の続きの文章や全体から読めば、『和を最も大切なものとし、争わないようにしなければなりません』などの解釈が普通でしょう。ですが、ここではせっかく『調和』の話ですから、次の解釈文を上げておきます。
調和する事を貴いものとし、むやみに逆らわない事をよしとしなさい。
もともと、この第1条の言葉は、孔子の『論語』第1卷 学而第12「有子曰 禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す) が典拠とされています。、『礼という重大な事象が、調和という事柄をもって、その重要な側面とすることは』(吉川幸次郎)という意味だそうです。文章の意味はさておき、ここに「和」を調和と訳している点が注目です。儀礼や式典などの礼という限定された範囲での話でありますが、それは調和がとれた物で無くては成らないというのです。さらに論語では、礼における調和の必要性を説きながらも、調和が行きすぎる動きがとれなくなるとも続けています。ここには、儒教の重要な概念である中庸の思想が生きているのでしょう。儒教から多くを学んでいた聖徳太子なら、調和の重要性と複雑性を深く考えていたかも知れないのです。
聖徳太子の時代は、海外からの侵略を警戒して、国内がひとつにまとまらなければ成らないという強い危機感を抱いていた時代です。したがって、豪族同士や官僚の争いなどしているときでは無いという思いが、第1条に現れたとみるのは妥当な解釈です。中央集権国家体制や仏教による国の統治なども、みなその前提の中での話になります。ですが、せっかく、和を調和と解釈することも可能なので、その話を進めてみたいと思います。「和」とは、人々が仲良くするという狭い意味では無く、もっと広く根源的な言葉だととらえたいのです。この「和」とはまさに「調和」の和なのです。
儒教と通じる「調和」
さらにこんな有名な言葉もあります。
『子曰わく、吾れ十有五にして学に志ざす。(中略)七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず』
孔子は、70歳を過ぎて、「自分の思うがままに行なっても,正道から外れない。(大辞林)」と言ったそうです。もう少し解釈を加えるなら、のりとは、人としての道理や人道のことです。
『自己の行動にも、心の自由を得たことであって、欲望のままに動いても人間の法則を踰えないという境地に達した』(吉川幸次郎)ということです。
また儒教における重要な概念として、中庸があります。これもまた二つの真ん中をとると言うことでは無く、最上の常識や道理に従うことです。
こうしてみると、儒教の影響を受けたのでは無く、儒教に神ノ道と通じる所があったので、広く受け入れられたのでしょう。
自然の理としての「調和」
すでにおわかりのように、調和とは「あるがまま」と「こだわらない」をたして2で割る、妥協の産物などではありません。もっと奥の深い、自然の理に基づく規範・基準や道徳・倫理などの尺度を含んだ概念なのです。しかも、単なる規範や基準にとどまらず、その実践を含むことが重要な点です。
自然の理のあるがままに、執着すること無く、調和のとれた道を歩むことが、神ノ道であり、日本人の生き様の原点です。神に命じられたのでも、約束したのでも無く、人間の存在そのものに、すでに神は必要なモノをすべて与えているのです。この感覚こそ、「おてんとうさまはみている」「天に恥じない」という感覚に通じるものなのでしょう。人間の下に自然を位置づける西洋近代的自然観と、決定的に異なる日本人の自然観がここにあります。私たちは自然の一部であり、人間は自然の上位になどいないのです。行きすぎた自然破壊への反省から、西洋近代的自然観は改善されつつありますが、それでも理屈では無く、彼らが感性のレベルでもそのように感じとれているのかはまだまだ疑問でしょう。
「論語(上)(下)」吉川幸次郎 1965
「聖徳太子 中村元選集 別巻6」中村元 1998