同化する気質と日系人
「文化と文明」を書いている途中で、サミュエル・ハンチントン著「文明の衝突と21世紀の日本」を本棚から出してパラパラしていたら、次の一文が目に付いた。
『他のすべての主要な文明には、複数の国が含まれる。日本が特異なのは、日本文明が日本という国と一致していることである。日本には、他の国には存在する国外離散者(ディアスポラ)さえ存在しない。ディアスポラとは、祖国を離れて移住しているが、元の共同体の感覚をもちつづけ、祖国と文化的な接触を維持している人びとの事である。(ページ46)』
この内容には事実誤認があるとしか思えないのだが、その話は別の機会にしよう。ここでは、日本人の気質として、ディアスポラがいないというのはどういうことなのか、少し考えてみたい。
海外に移住しても母国の意向に沿って行動すると言えば、すぐに思い浮かぶのが、米国などでの韓国系移民の反日活動であろう。慰安婦での反日活動があまりに理不尽なため、日系アメリカ人もようやく反対活動を行うようになってきた。これは要するに「同化」の問題である。
ディアスポラとは、結局、移り住んだ先において、その国や民族に同化しない人びとである。日本以外の外国人は、この傾向が強いと言うことであろう。これは民族の気質の問題になる。移民と現地の人々との衝突は、「同化せざる民」を生むことになり、いっぽう日本では、逆に同化しすぎる「くくりへの撞着」問題を生み出すことになる。日本人が自分がいる場の集団(くくり)に同化しやすい気質を持つ事を理解すると、集団主義と言われる原因が見えたり、外国の国々とのつきあい方、進出先の現地人とのつきあい方など、いろいろな事柄への対応がいまよりうまくいくようになるだろう。
日本人の同化しやすい気質は、日本人誕生と関わるのだろう。元々別の文化集団であった縄文以前の人々が、この日本列島においてひとつにまとまり、ひとつの縄文文化を作り上げた。しかも、有る集団が他の集団を力によって征服するのでは無く、お互いに協力をしあってまとまった。こうした経緯が、日本人の遺伝子に、同化しやすい気質を育み、植え付けたと思われる。
海外に出かけた日本人の多くは、同化しやすい遺伝子により、現地に溶け込む努力を自然とするようになった。そのために、母国の文化を大切にしながらも、現地への同化が進んで、溶け込んでしまった。中華街とか、コリアンタウンとか、同化するよりも、自分たちだけ集まって同化せずに、自文化をかたくなに維持し続ける人々との違いがそこにある。
山田長政で有名なタイの日本人街など、アジアに進出した日本人は大勢いる。だが、いまではその痕跡がほとんど見られないのは、多くの人が現地に同化して溶け込んでしまったからであろう。かって、古代の日本に来た大陸などからの渡来人は、同様に日本への同化をはたして来たが、近代以降では、日本に同化しない外国人も多くなってきた。日本に骨を埋めようと考えるほど日本文化を愛する外国人は、たいてい日本人の感性に近いモノを持っている。特異だと言われる日本文化への同化は、理屈や知識だけでは困難であろう。気が付いたら日本人と同じ感性を持っていたという外国人の話は、誇張ではないのだと思う。
世界遺産のなかで言ってみたい第一位が、ペルーのマチュピチュ遺跡であるとか。最近世界中からのラブコールを蹴って、日本の村と友好都市を結んだと話題になったが、それには理由があった。マチュピチュをいまのように世界に開かれた遺跡にした功労者は、実はペルーに移民した日本人だったのである。彼は現地の女性と結婚し、マチュピチュ村の村長になって、村の発展のためにそれを成し遂げたのである。このように多くの日本人は、現地に同化しようと努める気質を持っている。
アメリカやブラジルで日系人がかなりの数いるはずなのに、日系としてのまとまりが今ひとつ強く感じられないのは、もはやそれぞれの集団(国家なのか民族なのか、地域なのか)に同化して溶け込んでいるからだろう。日系アメリカ人なのに、反日の代表格のような変な議員がいる。考えようによっては、彼が日本人の遺伝子を色濃く持っているからかもしれない。同化しようとする無意識の働きが、先祖の母国である日本よりも、どこか日本人を理解不能と考えている一般的なアメリカ人のリベラルへの同調を導いたのだろう。彼が嫌う日本は、彼のなかにある日本人の遺伝子がそうさせているとしたら、皮肉な話である。
同化しやすい体質は、本論で取り上げた重要な概念「くくりへの撞着」を病的なものにまで進めてしまう原因の一つなのかもしれない。そこだけはよく自省する必要が、いまの日本人にもあるだろう。
平成27年11月7日(土)