パーソナル・スペースと気質
パーソナル・スペースとは
パーソナル・スペース(personal space)は、 パーソナル・エリアとも呼ばれ、コミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる、自分の周囲の空間(心理的な縄張り)を指します。
縄張りですから、ここに他人が侵入してくると、人は不快感や嫌悪感を感じます。防衛本能が働いている状態になるのです。しかし、逆に親しい相手や好意を寄せている相手であれば、容易に受け入れることが出来ます。
一般に、欧米人は日本人よりも、女性は男性よりもパーソナルス・ペースは狭いとされています
1966年、アメリカの文化人類学者のエドワード・ホールは、パーソナルスペースを4つのゾーンに大別し、それらをさらに近接相と遠方相の2つに分類しました。その空間は、概ね次のとおりです。
密接距離…ごく親しい人に許される空間
近接相(0~15cm) 抱きしめられる距離
遠方相(15~45cm) 頭や腰、脚が簡単に触れ合うことはないが、手で相手に触れる
くらいの距離
個体距離…相手の表情が読み取れる空間
近接相(45~75cm) 相手を捕まえられる距離
遠方相(75~120cm)両方が手を伸ばせば指先が触れあうことができる距離
離社会距離…相手に手は届きづらいが、容易に会話ができる空間
近接相(1.2~2m) 知らない人同士が会話をしたり、商談をする場合に用いられる距離
遠方相(2~3.5m) 公式な商談で用いられる距離
公共距離…複数の相手が見渡せる空間
近接相(3.5~7m) 二者の関係が個人的なものではなく、講演者と聴衆と言うような
場合の距離
遠方相(7m以上) 一般人が社会的な要職にある人物と面会するような場合におかれる
距離
パーソナル・スペースと気質
欧米人のほうが日本人よりもパーソナルスペースは狭いということで、欧米の握手と日本のお辞儀の違いなどが思いつきます。しかし日本人の中でも、この距離感はかなり個人差、いや集団差があるように思えるのです。
外資系にいたときの飲み会では、各個人の距離は近いとはいっても、ごく普通のものでしたが、純国内メーカーやキャリアと呼ばれる高級官僚出身者が大手を振っていた国内の会社では、様相が少し違いました。歓迎会ですら異常に馴れ馴れしいというか、べたべたとしてくるのです。しかも、そこにも違いがあります。本当に親しさを現そうとする純国産(昔からのという意味です)企業にたいして、キャリアの官僚系企業は、そもそも飲みに誘うことがありません。まずは、どの派閥に属するのか、相手を値踏みする所から始めます。出身大学はどこか、どんな考え方なのか、どの派閥に入ろうとしているのか、まるで漫画の世界そのままです。そこで、その値踏みのために、まず一人が近づいてきます。この時のパーソナル・スペースが、異常に狭いのです。これは心的縄張りというよりも、下心がある人物のモミ手と同じものなのでしょう。
パーソナル・スペースという非常に個人的なものまで、日本においてはくくりの集団によって形態がほぼ定まってくるということを述べているのです。このように全体のやり方や、しぐさまで同調しやすいのが、集団農耕型であることは言うまでもありません。孤高武士型は、常に人との距離を保ちます。それが、時には恋人にまで誤解を生じさせるのかもしれません。
集団農耕型の人は、親しさのレベルというものを勘違いしやすいでしょう。外国人との付き合いに、それが端的に表れてしまいます。外人とのつきあいでも、日本人と同じ親密さが必要だと勘違いします。しかし海外での人との関わり合いは、日本人が思うよりもはるかに軽い、表面的なものです。そのお互いの誤解が、日本人は情的、外人はビジネスライクと言われることにもなるのでしょうか。
欧米人のパーソナル・スペースが日本人より狭いというのは、逆に、心理的な距離の遠さを物理的な距離で埋めようとするものにも見えます。そのことは頭の片隅においておくべきでしょう。
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アメリカで、親しくなった相手の会社の人間とその彼女と3人でドライブをしたことがあります。その時、二人はなにかといえば、人の目もはばからずキスをしていました。あまり激しいので、私は冗談に、君たちは何回もキスしてるけど俺は0回だとと言ったのです。そしたら、お前もやればと彼が言い、彼女が私にキスをしてくれました。彼らの身体接触をあまり良い方にとらえすぎて、勘違いしないほうがよいでしょう。
パーソナル・スペースへの侵入とその受容
集団農耕型の人は、孤高武士型に比べて、パーソナル・スペースへの寛容度が高いようです。スペースが小さい、近いと言っているのではありません。縄張りへの他者の受け入れ度です。容易に受け入れるし、他者のスペースへ簡単に侵入しようともします。一方、孤高武士型は、自分のスペースを犯されることを嫌いますし、他人のそれも犯しません。これは自我の確立度と関係が有るのかも知れません。外資系企業での飲み会では、各自がそれなりの間隔を開けて座りたがりますが、純国産企業それもメーカーでの飲み会では、めったやたらと近付いてきて、身体に触れてくる傾向がありました。集団農耕型の人は、異性に対する態度でも同様の事がみられますので、セクハラと間違われないように注意が必要でしょう。
パーソナル・スペースのような精神的な空間と、物理的な接触度は本来別のもので、混同してはいけないのかもしれません。しかし時に、それが相互作用を及ぼしていることも事実でしょう。
くくりとの関係で言えば、典型的な日本企業では、よく会社の仲間と毎日飲みに行きます。くくりと自我の一体化が進んでいる証拠なのですが、それはパーソナル・スペースでいえば、もはやスペースが無い状態とも言えるでしょう。そのことがますます一心同体のようになって、いつもいっしょにいたがり、社会的規範をやぶることでも、いっしょならばと不正行為に及んでしまうのです。
心理学的には、子供のパーソナル・スペースと親の愛情には密接な関係があり、その後の発育にも影響を及ぼすものですが、ここでは取り上げないで起きましょう。
平成27年11月10日