教育と日本人の気質


 教育を最重要と考える日本人の気質


 教育と気質とはその関係が必ずしも明確ではないかもしれない。だが、教育に対する考え方は、間違いなくその文化集団(民族)の気質に根ざしている。そのことを理解していない人が今の日本には多すぎるようである。

 日本文化の歴史を眺めながら、日本の社会を見てみると、教育の重要性と公平性は、日本人の大元の気質に備わっていると確信できる。

 教育にまつわる様々な逸話があり、また、時代をさきがけた多くの先駆者や改革者はみな教育の重要性を誰よりも認識し、自らもまた実践していた。吉田松陰が自由を奪われてからも唯一取り組んだ、そして取り組むことが許されたのは教育であった。すべての官職を投げ出し、明治維新政府から去った西郷隆盛が、最後の仕事としたのもまた若者の教育であった。江戸時代、幕府に負けず多くの藩が藩校を開き教育を実践していった。そのことが、世界を見る開かれた眼を持つ多くの有能な人材を輩出し、明治維新に貢献したことは疑いの余地がない。


 この教育の基本、教えること、人を育てること、教わること、これらの基は、一万年以上も前に遡ることが出来る。日本全国に見られる縄文土器は、決して特定の地域の特定の人によってのみ作られたものではない。だから全国に広く流布したのである。教育して育てるという事が行われていた証は、9千年前の漆の工芸品からも読み解くことが出来る。子供から孫へと知識と技術を伝えることで初めて漆文化は成立する。何世代かにわたる漆の栽培を必要とする漆文化は、教える人と教わる人がいなければ存在していなかったのである。【第3章日本人と日本文化の成立「漆文化は総合的な文化」参照】

 これが教育の原型でなくて何であろうか。縄文土器もそのようにして、伝えられたのであろう。それも男女の別なく。食糧確保に忙しかった男性よりも、定住場所で仕事をすることの多い女性が土器をつくらない理由など探す方が難しいであろう。妊婦像でもある土偶は、男性視線の生命の誕生すなわち食料の豊穣を祈るものとされるが、同時に、女性による妊娠への喜びや無事な出産の祈念として作られたと考えるのは、それほどおかしい考え方ではなかろう。

 男女平等の意識が、日本人本来の感性であることは、太陽神が女性であったり、紫式部や清少納言が優れた文芸作品を残していることからもうかがうことが出来る。世界では、女性への教育が否定される国の存在が問題となっているが、日本が本当に同じような差別感を気質として持っていたなら、このような事例が発生することすらなかったであろう。中国文明さらには明治維新の西欧文明の受容によって、男尊女卑的な考え方が強められたのであり、気質や感性としての本質では、日本人は公平性を尊び、当たり前のことと感じていた民族なのである。寺子屋で武士階級以外の多くの子供たちが学んでいたことも、教育の公平性の証である。

 ただ公平性は、時に個性をつぶす方向に働くことがある。たとえば創造性に乏しく、横並びの割には小さな差別化を図ろうとする傾向が強くなる。これは集団内での個性重視、独立心の現れでもあるので、これをうまく活かす教育をすれば創造性も生まれてくるだろう。

 このようにさまざまな気質を理解したうえで、教育もまた行われることが必要である。気質の持つ弱点を助長することなく是正しつつ、長所を伸ばしていく教育内容を考え無くてはならない。

 教育にまつわる逸話から学ぶこと


米百俵

 教育にまつわる逸話として有名なものは「米百俵」であろう。幕末の北越戦争(戊辰戦争)で敗れた新潟の長岡藩は、6割も減知(収入減)されて、家臣は困窮の極にあった。【寄り道小径】見かねた親戚の藩が、米百俵を贈った。その時、大参事の職にあった小林虎三郎は、その米を家臣に分配せず売却して金に換えた。そしてその金で藩校をたてたのである。多くの批判に対して「米は食べてしまえばただなくなるが、教育に投資すれば1万、百万俵になって戻ってくる」と彼は答えたという。

 日本の改革の多くが、上からの改革であったのだが、これもその一例かもしれない。同時に、自らの身を削ってでも将来の子供たちに託す心意気は、典型的な孤高武士型気質である。

禁酒の石碑

 もう一つの逸話は、テレビで取り上げられたこともあるが、それほど人口に膾炙しているものではない。石川県津幡町には、禁酒と書かれた石碑が今も残るという。これは大正時代に、古くなった小学校を建て替えようとしたが、村が貧しくその費用が工面できなかった。そこで住民1500人が、5年もの間禁酒してそのお金を集めたという話である。(今の金で4億円とも)そのために、村の酒屋が8軒も廃業、それも自主廃業してしまったという。

 いまならどうであろうか。学校をつくるのは自治体や国の役目だから、金よこせの大合唱。個人の権利を侵害する強制は憲法違反だと住民。酒屋は、営業妨害で裁判所に提訴。こうなっても不思議ではないだろう。

 何度も述べているように孤高武士型気質は、武士階級を意味するものでなく日本人本来の気質だという事が、この逸話からもよくわかる。また自らを滅ぼしてまで、公(社会)に貢献する強い気概と意志とを持つ人々が、数多くいたことの証でもある。『親はわが子のために自らの食を減らす事もいとわない。村の子供はみな我が子である。』そんな言葉が聞こえてくるようである。


 教育改革の内容に触れることは本稿の主題ではない。ただ、教育を重視する考え方を大切に守りながら、教育改革においては、日本人の気質をよく見極めたものにする必要性を強調しておきたい。そして何より重要なのが、教育改革とは、学校を作り無償化することだけではない。大切なのは、真剣に貪欲に学ぼうとする子供たちを育てることである。そのための躾を家庭も社会も行わなくてはならない。それを怠るから、知識偏重の人間や小学生の能力もない大学生が多く輩出する、現在のような事態を招くことになる。

平成30年7月18日(水)


【寄り道小径】

 長岡藩によらず、多くの藩が転封と共に減封されてきた。上杉も長州も会津も同じ目にあっている。そして多くの藩では、石高を減らされたにもかかわらず、家臣団をそのまま引き連れていった。ついていったというほうが正確かも。いずれにせよ、それでなくてもさして裕福ではない武士(家臣団)たちの困窮はすさまじいものがあった。それでもなお、武士階級の人々はその境遇に耐えてきた。
 それは江戸時代の武士階級も同じである。インフレ率は知らないが、270年の間、武士の俸禄(給与)は上がらなかったのである。


 武士道教育による辛抱強さなどがなければ、とてもただでは済まなかったことだろう。武士としての誇りが、貧しい暮らしに耐えさせたのである。であればこそ、武士階級で行われていた武士道教育に、孤高武士型人間を育てる基があったと言えるのである。

 武士道教育のすべてを賛美する気などは毛頭ない。しかし、精神的な耐性、くくりの動的転移、強靭な精神、公(社会全体)への視点などを育んだ部分は、素直に長所として認め、活用できる部分は、現在の教育にも活かすべきなのである。


 


(注)本編「日本人の気質と歪んだ社会」では省略した項目のひとつにこれがある。ネット公開時(平成27年)のままであるが、再掲する。

 


 

2018年07月18日|気質のカテゴリー:補章