志摩市の海女の萌えキャラと「おとなげない」

 個人や特定の集団を批判することが目的では無いが、外伝では個別具体的な事柄を取り上げるので、どうしてもそのように受け取られがちだということは充分認識している。と、今回も言い訳から始めてしまった。

 たわいないことを大仰に騒ぎ立てるのは少し『おとなげない』のでは無いか、そんな気持ちから筆を起こした。もちろんその大人気無い行為の裏に、いまの日本人の「精神性の幼稚さ」というのは言い過ぎなら、「精神の弱さ」を認めるからであるが。

 2016年(平成28年)の主要国首脳会議(サミット)は、三重県の伊勢・志摩で行われることになった。それを機に志摩市では観光事業の拡大を目指して、海女さんのキャラクターを作ることにした。実は、すでに志摩のキャラクターとしては、海女ゆるキャラクター『しまこさん』が存在していたのだが、若者と海外観光客向けの新しい海女萌えキャラクター『碧志摩メグちゃん』を作成したという。

   まずは、実際のイラストを個別に見ながら、両陣営いや多くの人に考えてもらおう。

 

 まずは「しまこさん」。それなりにかわいいが、見方によっては顔が不気味に見えるし、そもそも口紅など海女さんの実態に合っていないのでは?なぜ、反対が起きなかったのかな? 露骨にいえば、さして印象が強いわけでもないので、どうでも良かったのでは。だから、宣伝キャラとしてはイマイチなのだろう。
 ところで両目の下にある「ぽっち」は何なのだろうか?済みません、海女に詳しくなくて。

 とにかく誰も反対はなさそうである。

 問題の「碧志摩(あおしま)メグ」である。とりあえず黙って見てみよう。

(1) セクシーキャラより、かわいいキャラ優先ではいけなかったのかな?明らかにバランスは良くない。

(2) この女忍者、卑猥じゃ無いですかね?考えすぎかな?忍者に見えづらいし。

 

 

(3) クリアファイルは、批判されるイラストと言えなくもないが。

 

 

(4) 女忍者が主役のイラストだが、こちらの巨乳こそ...。

 

(5) かわいいと個人的には思うのだが。

(6) アニメやキャラ好きの私には、とてもありふれたかわいいキャラとしか見えないのだが。逆にキャラの絵だけで海女だとわかるのは、少しきついかも。

 

 一連のイラストを見てくると、性的嫌悪感を生じさせるとするものは、二つ考えられる。ひとつは強調しすぎた胸(乳房)、もう一つは短く、はだけすぎた着物。これはもう少し書き換えてもさほど問題はあるまいとも思う。

 個人的には、メグと共演している(?それともこれもメグ?)女忍者の方がはるかに「やらしく」感じるのだが。巨乳強調(4)と恥部強調(2)があくどすぎないかなと。でも、反対署名は伊賀から起きてないようである。なぜ?


 最後に、すてきなコラボ図で、仲よくしよう。

 

 コラボ図でも、ミニが少々お気に召さないないかもしれないが、全体としてセクシーが強調されすぎているとか、性的嫌悪感を著しく惹起するようにはみえないというのが、個人的感想である。みなさんは、いかに。



 前置きが長くなりすぎた。ここからようやく本題に入れる。

 お互い相手の事に対する知識が不足しているのも、確かなのでは無いだろうか?海女という職業の置かれている現状や少々差別的な歴史などを知らない人も多いだろう。一方、萌キャラなる言葉の意味すら知らないし、ましてアニメ等オタクのお約束ごと(この言葉すら知らないであろうが、ようは暗黙のルールと見て良い)など、全く知らない世界の話である。本当を言えば、それら両者の異なる世界をつなぐ役割を、志摩市の観光担当者達がこの萌キャラを作る上で果たさねばならなかったのである。「はやりだから乗った」では、あまりにお粗末だと思うのだが。
 究極は、お互いに好きか嫌いかという事になってしまうのだが、そればかりを他人に押しつけるのでは、あまりにもおとなげないのでは無いだろうか。

 自分の職業に関わる話題にはつい敏感になってしまうのは、私も含めて当たり前の話である。だが、7000人もの署名を集めて、「海女を正しく伝えていない上に侮辱しているからキャラをやめろ(正確には、公認撤回のようだが)」というのは行き過ぎだと思う。

 どうすれば良かったのか。『イラストの内何点かは、セクシーさを強調しすぎているように思えるので、考慮してほしい。萌キャラは萌えキャラとして、同時に常に海女の現実の姿を伝える努力を並行で行ってほしい。そして好き嫌いで言えば、このキャラを嫌いだと思う人々の存在に、十分な配慮をしてほしい。』こんな要望書ではいけなかったのであろうか?

 一方、『「表現手法に対する無理解と差別にもとづく偏見」「表現活動や出版等が萎縮するきっかけを作らないよう」』という、公認撤回署名への反対署名というのも、あまりに大げさで大人げない。

 『萌えキャラという特殊な分野への一般的な理解は、まだ不十分かもしれませんが、若者や世界の中ではそれなりの文化として認められていることをご理解ください。萌えキャラには、当たり前のようにお約束と呼ばれる暗黙のルールができあがっています。そのひとつに、「セクシーである」「実際を忠実に再現するのでは無く、かわいいイメージを膨らませる」という事があります。その上で、あまりにも一般の方々の嫌悪感を生じさせるようなものについては、最大限の配慮を私たちも求めます。この事に賛同している人も少なくないことをわかっていただくために署名を集めました』
 このくらいのことがなぜ言えないのだろうか? 権利だの何だの偉そうに、だから嫌われる。

 そう、両者とも大げさで大人気無いのである。そこでは、戦後日本人の精神性が極端に弱まって、少々の事を多めに見る寛容さが失われているようである。
 精神性の弱さとは、少しくらいのことを大目に見る精神的なゆとりや、そういうものに影響されない精神の耐性などのことである。こんな事で「表現が萎縮する」とよく言うのだが、そんなレベルの甘いふ抜けた「表現」ならやめた方が良かろうと思う。


 それに加えて、やたらに権利や人権などを大上段に振りかぶり、要求する事が当たり前という社会的な風潮が、拍車をかけている。権利や自己主張ばかりのぎすぎすした社会は、本来の日本的な社会のあり方からは大きく外れているもの。それをそう感じなくなってしまった感性の劣化こそが恐ろしい。何事も極端に行き過ぎたものは、決してよりよい結果を生み出さないだろう。こんなところにも、いまの日本文化・日本社会が抱える日本人気質の問題点がかいま見えるのである。


平成27年8月30日(日)

参考資料
 なお、ここに使用したイラスト類は、下記のサイトから借用したものです。使用条件(個人のブログ等)には合致しているので問題ないと考えます。
  碧志摩メグ公式サイト
  「しまこさん」のプロフィール・サイト

 

 

 

 

2015年08月30日|気質のカテゴリー:外伝