大事なときに勝てないスポーツ選手と気質

 すでにブログでもたびたび書いたが、どうも大事なときにその実力が発揮できないスポーツ界。

 8連勝の野球U-18も決勝では、ミスだらけでぼろぼろ。いくら強いアメリカ相手でも、予選では一度勝っている相手である。それが決勝で当たると、とたんに変わってしまう日本チーム。コールド勝ちなどしなくてよいから、コンスタントに勝てないと。

 男子サッカーは、もはや病気である。 昔からなぜか得点できない日本代表チームだが、勝ったとは言え格下相手に34ものシュートを放って、決められたのはたったの3回。もはや病気と呼ばずして何であろうか。特に海外のクラブチームに所属する選手たち。海外ではそれなりにゴール出来ているのに、日本チームになるとまるで別人。他の選手の質が劣るからなのか、本人の個人技の技量なのか。選手間の目に見えないいがみ合いなどがあるのか。

 オリンピックなど大舞台で期待されて確実とか言われるほど、結果が伴わない事も多い。それも格下に負けたり、いつもの記録が出なかったり。こうなると技術もさることながら、やはり精神力を疑わざるを得ない。


 では具体的にどのような精神力が不足しているのであろうか。孤高武士型に備わりながら、大方の集団農耕型に不足しているものがあると日本人の気質では書いた。

 

 いつでも最高の状態を保ちかつ発揮できるためには、さまざまな周囲や自己内部からの圧力(プレッシャー)に耐える「耐性」が必要である。これが無いと「平常心」が保てない。耐性強化の訓練は行っているのだろうか?

 もう一つが「無我」の境地である。昔の剣豪は、これを最高の状態として修練を積み体得していった。こう書くといかにも時代劇じみているが、実はもっと当たり前の事でもある。スポーツでも何でも一流になれば、身体が勝手に動く、反応してくれるという状態にまで進化するものである。一流選手で無くても、自転車に乗ることを考えればすぐわかる。習いたての時は、運転するという意識を持って乗っているが、慣れれば無意識に、頭では全く別のことを考えながら乗れるようになる。つまり、無我の境地とは、身体の覚えた反応を意識などで邪魔をしないことである。無駄なこと、余計な事を考えないのは自己を制御する自律心とも言えよう。

 集団農耕型気質の人は、こういう精神力に弱さがある。欧米流のメンタルトレーニングも、結局は同じ事をやっているのになかなか効果が出ないのは、そのやり方が欧米人には向いていても、集団農耕型気質の日本人に向いていないからなのかもしれない。とするならば、昔ながらの座禅をくんだり、滝に打たれるなどの修行の方が向いているのかもしれない。

 メンタルトレーニングも、各選手個人の気質に合わせたものを考える時代に来ているのだろう。東京オリンピックまでに、方法論を確立してもらいたいものである。新国立競技場建設費の浮かした金額を、こちらに投じてほしいと思う。

 ガンバレ日本! 

平成27年9月8日(火)

 

 

 

2015年09月08日|気質のカテゴリー:外伝