特A米と気質は関係あるのか
今年も新米の季節で、米どころでは一足先に今年の出来を味わっているそうな。塩や味噌だけのおにぎりこそ、日本人の繊細な味覚が生み出した一品。「日本人の主食は米では無い」などと書いてはみたものの、やはりこの味わいは格別である。
お米のおいしさのランクは5段階で、その最上級が特Aである。ここ5年ぐらいで数が倍に増え、今年は44銘柄が特A米に認定されている。なかでも、話題に取り上げられているのが、青森県の青(晴ではない)天の霹靂というブランドである。青森県は長い間、品種改良などを重ねて特A米のブランドを作ろうと努力してきた。だが、気候条件などもあって、なかなか実現できなかった。その努力がようやく実を結んだのだ。
明るい話題であるが、その勤勉さや努力をたたえるだけでは外伝には成らない(と、勝手に思っている)。 これまで特A米が青森県で生まれなかった理由には、気候の問題もあった。だが、もう一つ理由があったのだ。
本州最北端の青森県。悲劇の八甲田山系が、県の中央に背骨のように走っている。当然この山を境にして、日本海側と太平洋側とでは、気候・風土が異なる。にもかかわらず、青森県は特A米を開発するに当たり、県全域で栽培できるものを目指した。日本人の気質にある公平性や平等性が、ここでも裏目に出たのだ。明らかに気候が違う場所で同じ品質の米、それも特A米が出来る訳が無い。そこで、県全域という条件をあきらめたところ、近年の気候変化なども手伝って、ようやく青天の霹靂が生まれたのだ。山の西側、日本海側の地域ブランドである。
有名なブランド米コシヒカリも、新潟の魚沼産が飛び抜けて上物とされている。狭い限られた地域である。ちょっとご縁があり、時々食させていただいているのだが、魚沼産の中でもさらにおいしいお米として地元の方が知る場所があり、そこのコシヒカリをわざわざ送っていただいたことがある。南魚沼だけでも狭いのに、もはや地域でもなく、まさに特定の田んぼなのである。それだけお米は、地形、土壌や天候などの風土に密接に結びついた食べ物なのであろう。
青森県も、県全域というこだわりを捨てたとき、ようやく悲願のブランド米が生まれたのだった。この話からわかる事は、日本人の平等性へのこだわりはさておくと、やはりくくりへの撞着あるいはくくりの柔軟性という気質の問題点であろう。
戦国時代の武将は、実によく地形や風土の勉強をしていた。何しろそれが自分たちの存続に関わるのだから当たり前なのだが。科学の力で自然をかえられるかのような傲慢さが芽生えたのか、近代以降特に戦後の日本人は、地理的な条件や風土を無視するようになってしまった。代わりにひたすら人工的に作られた境界線を重視し、そのくくりに病的に撞着している。
本来の行政区域は、その行政の事業毎に地域を串刺しする横割りの行政が本筋である。だが、役人や議員たちはその己の縄張りに執着し、実際の地元の人々にとってよりよい区域割りなど全く考えようとしない。大阪の維新と既存政党の確執を見れば、そのことがよくわかる。水道でも下水でも、学校、警察でも、その地域の地理的条件に照らして、最適な区割りがあり、それは決して行政の区割りと一致などしないのが普通である。 あ、個人的には大阪都構想には、さしたる改革には見えないので首をかしげているけど。
地方を疲弊させている理由のひとつは、間違いなく、人工的な行政区域と実際との乖離であり、あらゆる無駄の温床ともなっている。そこには、集団農耕型気質のくくりへの強固な撞着が潜んでいることを、にぎりめしでも食べながら考えて欲しいものである。
一方コシヒカリに安住しない新潟県。新しいブランド米「新之助」を開発した。コシヒカリの粘りけを少し押さえた方が、おにぎりには握りやすいのだが、新之助はどうなのかな。早く食べてみたい。
現状に安住しない気質こそ、孤高武士型気質の特徴で、これが改革や革命的変化をもたらすことにつながる。改善では無く革命にまで、改革の歩みを進めてほしいと思う。
平成27年10月14日(水)