新国立騒動にも見られる振り子型変容

 新国立競技場の建設では、国民の批判もさることながら、建築家などの専門家もおおきく二つに割れたように思える。それを、それぞれの派閥の権力闘争のひとつとみる解説もあるのだが、それよりももっと大きな視点で見ると興味深いことがわかる。これは、最初のデザイン案が白紙に戻されて、新たな案が提案されたことで表面化したものでもある。白紙化も、時代の流れだったのだろう。


 当初案は、砂漠のように首位委に何も無ければデザイン的にも優れた物であったかも知れない。だが、新国立は東京の中でも明治神宮という日本の自然を強調した地域のなかにある。周囲との調和を無視して良いはずなど無かろう。環境を無視した建物はいずれ飽きられ、かつ周囲から浮いてしまうことになる。それが、再度の公募において候補として残った二つのデザイン案は、いずれも同じ「杜のスタジアム」をデザインコンセプトとして、「神宮の杜」の自然と周辺環境との調和を前面に打ち出し、木材を使って「和」を強調している。

 前回の失敗から確実にコストが収まり、周囲の環境とも調和する建物という条件下では、こういう形にならざるを得ないという専門家の話は多い。私には、それだけでは無いように思える。

 日本文化の歴史を見ると、積極的に海外の文明を取り入れる時期と、逆に国風の日本古来の文化を尊重する時期とが交互に現れているようである。これは日本人の気質と関係がある。新しい物を積極的に取り入れるのは良いのだが、極端に走りいきすぎてしまう。そうすると今度はその反動が起きて、まるで振り子のように大きく揺れ戻す。日本の歴史には、そのような特徴が見られると述べてきた。これを「らせん状振り子型変容」と呼んでみた。

 

 この視線で見ると、今回の騒動は「西欧の過剰受容から日本的なものへの揺れ戻し」「西欧崇拝派と和文化尊重派の闘い」とみることが出来る。

 白紙撤回されたザハ案(キールアーチと呼ばれるデザイン)が決定したのは2012年、今回のデザインは2015年12月。3年という歳月は、社会の大きな潮流の変化を生んでいるのだろう。バブル崩壊により、これまでの経済重視からいやでも人間としての幸福に眼を向けるようになりはじめていた。そしてそれを大きく突き動かしたのが東日本大震災である。日本人の無常観はこの災害列島に寄るところが大きい。文化で言えば、ひたすらに外来崇拝をしてきたものが、もう一度自分たちの文化を見直すように変化したのである。

 時代の変化は、気をつけてみれば至る所に転がっているのだろう。


参考資料

  文化と文明 第3章日本文化 日本文化の変容と発展
  日本人の気質【外伝】五輪騒動に見る日本人の感性の劣化
  外国人の気質 新国立競技場からみる西洋と日本人の感性

平成27年12月17日

 

2015年12月17日|気質のカテゴリー:外伝