自文化の復権か 結婚指輪をしない
失われた20年は、決して望ましい社会のありようでは無いが、その中で少しずつ日本人の心に変化がもたらされてきた。なかでも東日本大震災がその大きな引き金となったことは、これまでに何回か述べてきた。その変化とは、一部のマスコミや文化人(?)がいまも叫び続けているようだが、日本の右傾化と呼ばれる現象である。それは実際には右傾化なのでは無く、まともな方向性、言い換えるならば自文化への回帰現象である。そんな現象を、社会の流行の中でも感じることが出来る。
外来文化に根ざす風俗や習慣は、大元の外来崇拝的な傾向が薄れると一緒に消えていくことも多い。そんな事をふと感じさせてくれるコラムがあった。それは最近結婚した芸能人カップルの高額な指輪が話題となったことにからんで、それでも近頃は夫婦で結婚指輪をしなくなったという記事だった。
年々結婚指輪の金額は高くなっているのだが、ほぼ四六時中つけている人の割合が、2006年の調査ですでに、男性で49.1%、女性で39.2%である。さらに、指輪をつけなくなった時期は「1年以内の男性が約60%、女性が約50%。20、30代が1年以内に「つけなくなった」率は実に70%にのぼる。
女性の方がつけなくなったというのは、意外な感もあるのだが、その真偽はおいておこう。日本で結婚指輪が普及したのは大正時代というから、西欧文明を取り入れた明治の文明開花からも結構時間がかかっているし、まだ100年程度の習慣である。「面倒だから」、「汚れるから」と言う理由でしなくなったと言うのだが、結局の所、借り物文化は流行(はやり)に終わることも多いのだろう。最大の理由は、やはり自分たちの感性と合っていないと長続きしない事では無いかと思う。
チョコレート屋の陰謀とささやかれながらも、定着したかに見えたバレンタインデーの贈り物。チョコ以外の贈り物が乱立した事もあるのだろうが、いまやハロウィンのコスプレ騒ぎの方が、大きなイベントとなってしまったようだ。元々宗教的な要素から出た物であっても、長い時間の経過と社会の変化によって、その習慣の本質的な意義は薄れ忘れ去られていく。それでも習慣・風習として残り続けるのは、その文化の集団にとってそれが「ここちよいもの」だからであろう。感性のレベルにまで入り込んだ習慣であれば、何百年、何千年してもなかなか消えないか、あるいは形を変えて残ることになる。
いま日本の文化が復権期を迎えている。そんな事を感じさせてくれる社会の変化を敏感に感じ取ることは、これからの社会を生きる上でも大切な事だろう。気をつけてみれば、他にもたくさんあるのかも知れない。探してみてはいかがであろうか。そこから新たなる習慣を生み出すこともあるかも知れない。
個人的には結婚指輪に替わる「まがたま」の復権を望むのだが、石の産出量などから実現性は乏しい。ならば逆に、日本のハイテクでしか出来ない最先端素材による夫婦の証が出来たらおもしろいなと思うのだが。
平成28年1月16日(土)
参考資料
HP『現代結婚指輪事情アンケート』シチズン 2006